その時は多分、本当にごく一般的な家庭だったと思う。
家族はお父さんにお母さん、お姉ちゃんと私の4人家族で新築一戸建てに住んでました。
私が3歳の頃、お父さんが事故をして入院したのをきっかけに母がパートに行くようになった。
4歳年上のお姉ちゃんは既に小学校に行っていたので、私は母方の祖母の家に預けられました。
祖母はすごく優しくて大好きだったけど、家事なんかで忙しくあまり私の相手は出来ず、毎日1人で遊んでいました。
祖母の家の裏は砂利の空き地で、毎日新聞紙に大きな石を巻いて石焼き芋やさんごっこを1人でしていた。
近くに公園もあったから、1人で遊びに行った。
私はすごくお母さんっ子だから、毎日寂しかった。
1人ぼっちで遊ぶのも寂しかった。
もうこの辺はあんまり記憶が無い。
と、言うのもお父さんはほとんど家に帰って来てなかったような気がする。
だから家族で出掛けたり、外食したり、もちろん旅行なんかは全くなかった。
周りは夏休みの度に旅行へ行ってたりして、すごく羨ましく思ったのを覚えてる。
そして私が底辺女と落ちこぼれていったのは小学3年生の頃だと思う。
あんまり人のせいにするのは良くないかもしれないけれど、このあたりから私の人生はおかしくなっていってしまった。
その頃、お母さんはお父さんの浮気を疑っていた。
だからお母さんは私やお姉ちゃんに「パパの携帯開いて、メールの履歴見て」とよく頼んできた。
何故私達にやらせたのかは未だに不明。
そして結局、浮気はクロだった。
そしてそんな時にお父さんが事業を始めると言い出して、借金をこさえてきた。
そんな色々なことが原因でお母さんがうつ病になってしまった。
私はお母さんっ子だったから、変わり果てたお母さんを見てるのは悲しかった。
お父さんはほとんど家に帰ってこなくなって、帰って来てもイライラしてる事が多くていきなり殴られた事もあった。
あまり家にいなかったのが原因か、小さいながらにお父さんと話すのはすごく気を使うし
たまに一緒に買い物に行った時に「欲しいもの買ってあげる」と言われても「いらない」と何故か全力で気を使っていた。
欲しいものがなかったわけじゃないけど、なんだか言えなかった。
とにかく何故かお父さんには他人行儀みたいな感じだった。
だから殴られても、なんとも思わなかった。
痛くて泣いたけど…
でも、何故か休みの日はよく海へ連れて行ってくれた。
家の外に出たがらないお母さんが「一緒に海に行こう」と誘ってくれるのがすごく嬉しくて仕方なかった。
私はどちらかというと明るくて元気で人懐っこい感じだったけど、お姉ちゃんはその逆で引きこもりがちだったので一緒に海に行くことはなかった。
だから私とお母さん2人でたくさん海に行った。
私が昆布やワカメを持ってふざけているとお母さんが笑ってくれるから嬉しかった。
でも、今だから言える話だけどお母さんが私を連れて海に出掛けたのは心中しようとしてたからだと思う。
なんで今になってそう思うのかと言うと、私はお母さんに「一緒に死んでほしい」と頼まれたから。
何度も自殺未遂してる内に、1人で死ぬのが怖くなったのかな。
その時私はなんて返事をしたのかわからないけれど、今こうやって生きてるって事は断ったんだと思う。
私はよく覚えてないけど家の近くにある、大きな道路(大型トラックなんかがビュンビュン通る)に私とお姉ちゃんを連れて行って死のうとした事もあったって昔お母さんが自分で言ってた。
ある日、今までとは比べものにならないくらいの大喧嘩があった。
お父さんは携帯を真っ二つ折って家を出ていき、お母さんは血を流しながら泣いてた。
それが最後の喧嘩で、数日後に離婚するとお母さんから聞かされた。
その日は珍しく家にお父さんがいたから私はお父さんに「離婚しないで」と泣きついた。
他人のように感じるお父さんだけど、やっぱり離れて欲しくはなかった。
でもお父さんの返事は「ごめんな」の一言だった。
その時、私は最初で最後のお父さんの泣き顔を見た。
なんで泣いていたのか、どうゆう気持ちだったのか今になっても私にはわからないけれど
お父さんも私と離れるのが寂しいと思ってくれたのかなって勝手に解釈してる。
私とお姉ちゃんはお母さんにつくことになり、一戸建ての家を出た。
次に住む家は見たことのないようなオンボロ長屋だった。
今どきトイレはボットン。
壁は土壁で、地震が来たら一発で潰れそうだった。
部屋は二部屋しかなく、一部屋はリビング、
もう一部屋は何故かお姉ちゃんの部屋となった。
私も自分の部屋が欲しいと駄々をこねると「お姉ちゃんは思春期だから、あんたは我慢してね」と言われた。
夏になれば見たこともないような虫が大量発生したり、ゴキブリやネズミなんかも当たり前のようにいた。
大きなムカデが家の中にいた時はさすがにびびった。
親の離婚+新築一戸建てからボロ家に降格してしまった事をきっかけにグレはじめた。
正直私からすれば親の離婚はそこまで悲しい事か?と思っていた。
会いに行こうと思えば会いに行ける距離だし、
信じてもらえないかもしれないけど私は昔から変に冷静なところがあって
離婚しないでとお父さんに泣きついて、お父さんから「ごめん」って言われた時、
心の中で「あーやっぱり無理か」とか思ってた。
だからグレるお姉ちゃんの心境が全くわからなかった。
グレるといってもヤンキーになるわけでもなくただ不登校になり、どこかへ出かけては遅くに帰って来るようになりタバコなんかを吸い始めた。
その頃から私はお姉ちゃんとあんまり仲が良くなく、不登校だろうが帰るのが遅かろうがどうでもよかったのだけど
昭和人間でくそ真面目なお母さんはお姉ちゃんのその行動全てが気に入らなかったららしく、2人の仲は最悪だった。
この頃になるとお母さんのうつ病はある程度治ったけどなんか別の意味で病んでた気がする。
内気でいじめられっ子だった姉は友達もおらず、夜遅くまで誰とどこで何をしてたのか未だにわからないけどお母さんはよくその事でぶつぶつと怒っていた。
そんな時、お母さんが病気で入院した。
なんの病気かは忘れたけど手術までしなきゃいけなくなって少しの間、家には私とお姉ちゃんの2人きりだった。
少し離れた場所に祖母が住んでたからたまに様子を見に来てくれたけど、歳も歳だし足も自転車しかないから週に1回程来てくれていた。
ちな、祖父は私が生まれる1ヵ月前に亡くなってるから祖母は叔母さん(お母さんの姉)と叔父さんの3人暮らしでした。
まだ小学生だった私はお母さんの心配もしつつ、のほほんと友達と遊びに行ったりもしてた。
今思えば私めっちゃ冷たいww
もっとお母さんの心配しろよなww
でも命に別状ない病気だし、なんかこの頃の私はのほほーんとしてた。
で、夕方になって遊びから家に帰ってくると何故か家の外に私のランドセルや制服や布団なんかがばらまかれていた。
犯人はもちろんお姉ちゃん。
今までお母さんというイライラをぶつける場所があったけど、お母さんが入院してからは矛先が私になってしまった。
その時の家のお風呂は何故か外からは鍵の開け閉めを出来るけれど、内からは開けることも閉めることも出来ない仕組みだった。
だから私がお風呂に入ってる間にお姉ちゃんに鍵を閉められて、外に出られないようにされた。
その時、偶然祖母が来てくれたから助かったけど来てくれなかったら平気で1日中閉じ込められてたと思う。
それから私とお母さんは仲が良かったが、姉だけが孤立する形で時がすぎて行った。
そして私が中学に上がる頃、校区などの関係でまた引越しする事になった。
今度も同じようなボロボロの長屋だけど、その家から祖母の家まで歩いて3分くらいだったのでおばあちゃん子だったお姉ちゃんは少し嬉しそうだった。
私は中学に入ってすぐ、バスケ部に入った。
お姉ちゃんはなんとか高校に入学したけど、すぐにやめた。
高校を辞めてからは働く事もせず、家に引きこもってゲームばかりしてた。
私はバスケにどっぷりハマり、1年生にしてスタメンに選ばれた。
自慢じゃないけど当時は運動神経だけはずば抜けて良く、バスケ初心者だったけど誰よりもうまかった自信がある。
今思えばバスケしてたあの3年間は19年間の中で1番輝いていたと思う。
もともと気の弱い私はその先輩達にビビりまくりだったけど、その時は謎のメンタルの強さがあって先輩達が引退するまで耐えれた。
自分達の代になって、練習は吐くほどキツかったけどバスケが楽しくて仕方なかった。
でも部活で疲れて家に帰ると、また私の私物が外に捨てられたりしていて正直、若干精神的に参っていた。
学校にも行かず、仕事もしない姉ばかりいい思いをしている事に腹が立ちお母さんに講義したけど、お母さんはお姉ちゃんにビビってもう何も言えないでいた。
そのお姉ちゃんの彼氏(以下タケシ)は私の同級生のお兄ちゃんで、なんだか気まずかった。
それに二部屋といっても、部屋と部屋の間に仕切りはなくどちらの部屋からも丸見えで
トイレやお風呂に行くにはお姉ちゃんの部屋を通っていくしかなかったからすごく嫌だった。
何故タケシが私達と一緒に暮らすようになったのかは、タケシの個人情報にも関わるしめんどいからはしょらさてもらう
家に帰るとタケシがいるし、居心地が悪かったから。
タケシはいわゆるDVで気に入らないとすぐに怒鳴り散らし、お姉ちゃんを殴った。
たまにお母さんや祖母の事を殴る事もあった。
私は喧嘩が始まると家出してたから被害はなかったけど…
私はタケシが嫌いだった。
毎日のように起こる喧嘩に嫌気がさしていた頃、またお母さんが入院した。
乳がんだった。
そしてタケシは転勤になったと言うこともあり家を出ていった。
その頃私は高校1年生になっていた。
運動神経はよかった私だけど勉強は全然できなかった。
でも、建築士になりたいという夢があり、死ぬ気で勉強してなんとか工業高校に入学した。
同時にバイトも初めてお金を稼ぐようになって楽しい毎日だった。
今まで超がつくほど貧乏な生活で、何もかもがお下がりで、自分に使えるお金なんてほとんど無かったからお金があるのは幸せな事なんだと思った。
新しい自分好みの服をたくさん買った。
ずっと欲しかった化粧道具も全部揃えた。
色んなところに遊びに行った。
家ではお姉ちゃんとお母さんが毎日喧嘩をしてたから、私はほとんど家に帰らなくなった。
その時私はガソリンスタンドで働いてたんだけど社員さんは全員20代と若く、女の子が私1人しかいなかった事もありすごく可愛がってくれた
仕事終わりにご飯に連れて行ってもらったり、プライベートでもみんなで遊びに行ったりとめちゃくちゃホワイトな職場だった。
バイトが楽しくてたくさんシフトに入ってたおかげで月に7万くらい稼いでたと思う。
高校にしては大金だった。
けれど自由に使えるお金が多いせいで、高校に入学して2ヵ月も経てばほとんど学校に行かなくなった。
別の高校に通っていた幼馴染みのタマキと学校をサボってはカラオケに行ったり、買い物にいったりしていた。
夕方になれば私もタマキもバイトに行き、バイトが終わればまた朝まで遊び、家には寝に帰るくらいだった。
お姉ちゃんには帰りが遅いだけでブチブチ言っていたお母さんだけど、私には何も言ってこなかった。
言いたくても私が家に帰るのはお母さんが仕事に行ってからだから、言えなかったっていうのもあるけど
私が中学生くらいの時からお母さんは基本的に私の事は放置だった。
多分お姉ちゃんのお世話で精一杯だったんだと思う。
その頃もお姉ちゃんは相変わらずニート生活だった。
何故かお母さんはそんなお姉ちゃんにお小遣いまであげていた。
私は心の中では働かずにお小遣いまでもらってずるいと思ってた。
でも、私は誕生日が早いおかげで原付の免許を取ってバイトで稼いだお金で中古だけど原付を買った。
行動範囲が広がって、友達と「原付でどこまで行けるか試そう」なんて言って朝まで走り回ってた。
そんな私をみてお姉ちゃんが「お前は自由にしすぎ」と何故か怒り出した。
それにプチんときて、今までずっと我慢してきたものが崩れた。
ニートでお小遣いまでもらってるお姉ちゃんがずっと許せなかった。
腹ただしかった。
だから私はお姉ちゃんを殴った。
初めて人を本気で殴った。
普段イライラする事はあっても、本気で誰かに怒ることのなかった私は自分でもビックリするくらい頭に血が上っていた。
もちろん、あたしはお母さんに怒られた。
でも、どうして私が怒られるのかが理解出来なくて、どうしようもなく怒りが抑えられなくて近くにあった扇風機を殴った。
扇風機もあっけなく壊れた。
お母さんはお姉ちゃんをなだめるのに必死で私には一切目もくれなかった。
それが少し寂しかった。
多分、本当は私も構って欲しかったんだと思う
でも構ってもらえないから、たまに学校に行く時は怒られるとわかってて化粧をバッチリして行ったり、授業を受けずに保健室で寝ては怒られたりしていた。
そうやって怒ってくれる人がいるのが嬉しかった。
だから私は男に走ってしまった。
適当に男を捕まえては泊まらせてもらったりした。
もちろん、そういう行為もあった。
でもそれも嫌じゃなかった。
自分に構ってくれている事が嬉しくて仕方なかった。
時には既婚者にも手を出していた。
既婚者の人ってなんだか余裕があって、口もうまくてその時自分は本当にその人に愛されてると勘違いしてた。
今思えば、自分は本当に最低な事をした。
バレないままその既婚者との関係は終わったけれどそういう問題ではないし、未だに罪悪感がある。
でも当時、本当に馬鹿だったあたしは人の気持ちまで考えてなかった。
そんなこんなでいつの間にか1年生も終わりに近づいた頃、家族3人はますます仲が悪くなっていた。
そして何故か大暴走した私は高校を辞めて、一人暮らしを決意。
お母さんはずっと反対してたけど大喧嘩の末に了承した。
でも、貯金もほとんどなかった私は3学期の後半から学校に行かず朝から晩までバイトをしていた。
それと同時に家にいるのが本当に苦痛だったので、私はお父さんの家にひとまず逃げる事にした。
自分で決めた事だけどいざ、実家を離れるとなるとなんかすごく寂しかった。
喧嘩ばかりしていたお母さんと離れるのもめちゃくちゃ寂しく感じた。
なんだかんだ本当は、お母さんのこと大好きだし仲良くしたかったんだと思う。
でも変なプライドが邪魔をして、本音が言えなかった。
最後の荷物を持って家を出ようとした時、お母さんに本当に久しぶりに話しかけられた。
「体に気をつけて」たったその一言だけだったけど、私は嬉しくて寂しくて大泣きした。
そしてその時初めて自分の気持ちを言った。
「本当は出ていきたくない。ここにいたい。」
大泣きしながらそう言った。
けどお母さんの答えは「このまま2人でおっても喧嘩ばっかりやから、離れた方がいい」そう言われた。
あっけなく断られた。
その頃の私からすれば拒絶されたようにも思えた。
そう言われてしまったらもう返す言葉もなく、泣く泣くお父さんの家に移り住んだ。
お父さんはずっと4人で暮らしていた一戸建てに住み続けていた。
でも、本当はあんまりお父さんと住みたいとは思わなかった。
中学生の頃、お父さんの家に置いたままの本を取りに行った時、ふとリビングに置かれていた手帳が目に付いた。
その時お父さんは仕事で家におらず、好奇心で手帳を開いた。
その手帳はスケジュール帳のようで、細かく予定が書かれていた。
そしてある言葉に目が止まった。
「〇〇ちゃん自殺」
そう書かれていた。
どういう事か全くわからず、パニックになりほかのページを見てみるとまた違う名前で「〇〇自殺」と書かれていた。
「俺の目標。いろんな女とする!!」と書かれていた。
私は黙って手帳を閉じて家を出た。
なんか見てはいけないものを見た気がして。
そしてやっぱり、お父さんも男なんだなと再確認した。
たまにお父さんの家にものを取りに行った時、誰かがシャワーを浴びていたこともあり(多分女)あんまりお父さんの家には近づかないようにしていた。
そんなこんなで、あんまりお父さんと住むのは気が進まなかったけど行き場のない私はお父さんの家に行くしかなかった。
さすが、男の一人暮らしだと思った。
2階の私の部屋は何年も使われてなくてかなり汚かったので掃除して、なんとか生活を出来るようにした。
そして、ある問題が発生した。
お父さんの家にはガスが通ってなかった。
まだ冬で寒い中、毎日水風呂だった。
お父さんは会社?でお風呂に入ってくるので私だけが地獄を味わっていた。
そして、暖房つけるの禁止、ストーブない。
あるのはコタツだけだったので毎日布団で寝ずに、コタツで寝ていた。
そしてもう一つ大問題。
「ご飯は全部自分でしてな」とお父さんに言われてしまった。
その意味は家にあるものを食べたり飲んだりするなという事だった。
どうすればお金が貯まるかを考えた結果、食費を抑えるのが第一だと思いついた私はチューペット(10本くらいで98円のアイス)を買って1日2本ずつ食べた。
たまに贅沢をして大き目のプレーンのヨーグルトを買ってそれを3日かけて食べた。
飲み物は水道水。
完璧だった。
高校1年生の頃から働いてたガソリンスタンドにその時もまだ働いていて、優しい先輩達がたまにご飯を奢ってくれた。
本当に神様に思えた。
お父さんにお金を貸してくれと頼まれる大惨事
高校生の娘から金借りるなしwww
でも、断れない性格の私はまんまと貸しましたよ、はい。
そして17歳の夏前にやっと一人暮らし開始。
もちろん、お父さんの家ではクーラー付けるの禁止だったから本当に地獄だった。
水のシャワーは気持ちよくてちょうどよかった
けれど半年くらいで10?くらい痩せた。
ついでにダイエットまで出来て幸せだと思う事にした。
そして今までバイトを掛け持ちしていたけれどずっと働いていたガソリンスタンドで朝から晩まで入れるようになった私は18万は稼げるようになった。
完璧だった。
仕事場では妹キャラだと思っていたのでビックリしたし、何よりビックリしたのはその人は既婚者だった。
まだ23歳なのに子供は3人もいる人だった。
その男性(以下カズ)は私より後にガソリンスタンドで働き始めた人で、カズも含めてよくスタッフ達で遊びに行ったりもご飯を食べに行ったりしていたけどまさか自分に好意を寄せてくれているとは思っていなかった。
ハードすぎでしょ
それでもカズはしつこかったから「本当に好きなら離婚してからきて」と言った。
そしたらその晩にカズは本当に奥さんに離婚話を切り出したらしく、そのまま私の家に転がり込んできた。
「家にはもう帰れない。行くところがない」そういうカズの言葉を鵜呑みにし、家にあげてしまった。
その次の日、カズはガソリンスタンドをやめた
何故かはわからないけど。
私は今まで通りガソリンスタンドで働き続けたけれど、カズは一ヶ月近く仕事をしなかった。
だから私がカズを養う形だった。
そしてその頃、カズの奥さんに呼び出された。
もう、ボロクソに言われたね。
カズは私に「嫁に追い出された」と言ってたけど本当は自ら出て行ったらしく責め立てられた
悪いのは私だったので謝ることしかできなかった。
結局その場で離婚は成立。
当たり前だけど私はカズの奥さんから慰謝料を請求された。
黙って従うしかなかった。
カズは端っこでちょこんと座ってるだけで、一言も言葉を発さなかった。
それからカズはちゃんと働き始めて、私に請求された慰謝料もカズが払ってくれていた。
養育費もきちんと払っていた。
勢いで同棲が始まり、勢いで嫁と離婚し、何もかもが勢いだったのではじめの頃はカズのことそんなに好きじゃなかったけど、一緒に住むうちに好きになっていった。
その後私もガソリンスタンドに出勤し、帰ってきて夜ご飯を作って2人でご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、シングルの布団で2人毎日一緒に寝た。
幸せだった。
家事も一切苦痛じゃなかった。
料理も作る度に腕が上がっていく気がして楽しかった。
何よりも、自分だけを見てくれていて、毎日自分と一緒にいてくれる相手がいる事が幸せだった。
ずっとこうして誰かに構ってもらいたかった。
自分の安心して帰れる場所がほしかった。
だから同棲はすごく楽しかった。
ご飯が少しでも硬かったり柔らかかったりすると、おかずも含め一切口にしなくなるし、よく私に怒鳴るようになった。
そして同棲を始めて半年経った時に、カズに結婚しようと言われた。
たぶん、はたからみれば馬鹿だと思うだろう。
けれど私は嬉しかった。
頼りにならない毒親のお母さん、何かあれば気が狂ったように発狂する姉、よくわからないお父さんはあんまり家族と思えなかった。
だからやっと自分にも家族ができるんだと思うと嬉しかった。
未だに結婚は浅はかな考えだとか、悪く言われるけれど私はこの時結婚した事を後悔はしていない。
もちろん、私のお母さんも大反対だった。
でも私は今までも自分の事は自分で決めてきたし、周りは口を出すだけで誰1人として助けてはくれなかったから反対を押し切った。
友達からは馬鹿だと言われたけれど、友達はみんなお金持ちの子ばかりで私の気持ちなんてわかりゃしないだろうから無視した。
お金がなくても自分を愛してくれてる人がいる
それが何よりも幸せだと私は思った。
なんか書いてて思ったけど、多分私も普通じゃないんだと思う。
私は変わってるし、考え方も人とズレてるんだと思う。
でもずっと孤独を感じてた私は人に依存するようになっていて、カズがいないと生きていけないと本気で思っていた。
でもカズは結婚してから暴力をふるうようになった。
小さい事で喧嘩しては殴られたり、火のついたタバコを投げつけられたり、原付でひかれた事もあった。
DVの人は暴力をふるった後は必ず優しくなる。
それはタケシを見ていて知っていた。
でも普段は仲のいい2人だったし、少し我慢すればいい。そう思っていた。
でも何よりもまた1人になるのが怖かったんだと思う。
そんな時、妊娠発覚。
もちろんカズとの子供だった。
カズは大喜びしていた。
私は嬉しいのと不安半分半年だった。
ガソリンスタンドは社長のご行為で退職する事になった。
妊婦には危険な仕事だからって。
カズもお腹に赤ちゃんがいるから働きに行かなくていいよと言ってくれていた。
けれど妊娠2ヵ月目で科学流産してしまった。
カズは悲しんでたし、私も悲しくて大泣きした
胎嚢だけが残っている状態だったので簡単な手術をする事になった。
30分程度で終わる手術だけど一応全身麻酔をかけてするような感じだった。
手術が終わった後は意識が朦朧としている中で激しい腹痛に襲われた。
そして、赤ちゃんが出来ていなかったということを再確認してまた大泣きした。
科学流産は一般的に、どれだけ母親が気をつけて安静にしていてもしてしまうものらしいのだけれど、私のせいじゃないかとずっと考え込んでいた。
レス全部返せなくてごめんね。
一気に書きたかったけど、疲れちゃった。
文章もぐちゃぐちゃでごめんね。
もしなんか質問があれば軽く答えるよ。
楽しくないよ。
でも死ぬ勇気もないチキンだから生きるしかない。
まぁ親が親でお前もお前だもんな。出来たら今頃こんなところに書き込んでないだろうし。
なんだか可哀想だね。哀れ
そうだね。
でも子供は親を選べないし、逆もそう。
ただ自分の親が毒親なだけで人生は終わると思うし、正常ではいられないと思う。
産まれてきた環境が最悪ならもうその先の人生うまくいかない。
お前は幸せ者だよ。
ちょい待ち
それは違うぞ
読んでて思ったがそれはおまえが破滅的選択を繰り返してたどり着いただけの結果だ
逃れるタイミングも断固として拒絶することも可能だったぞ
そうかもしれない。
迷った時に相談する相手がいなかったから、全部自分で考えて行動するしかなかった。
でも、迷った時に相談できる両親だったりがいれば少しは違う人生歩めたのかなって思う。
まだ15、6の私には物事をそこまで深く考える能力もなかったからこの結果だよ。
落ち込む私をカズが支えてくれたおかげでなんとか立ち直ることが出来たけど、それからカズの束縛が異常になった。
ガソリンスタンドを辞めたのを機に、働きに行かないで欲しいと言われた。
でもカズが持って帰ってくる給料は15万円程。
どう考えてもやっていけないけれど、怒らせるとまた殴られるからそれに従った。
あとから知ったんだけどカズは30万くらい稼いでいたけど、15万程ピンはねしてたらしい。
とりあえず15万円では生活できないので、自分の貯金を崩しつつとりあえずカズにはご飯を食べさせて自分はカズの残したものや、白いご飯だけ食べるようにしていた。
パチ○コ依存症のカズはどれだけお金のない状況でもパチ○コに行こうとするようになっていたから、貯金がある事も黙っていた。
けれどある日、封筒がなくなっていることに気付いた。
家の鍵を持っているのは私とカズだけ。
もう犯人はわかりきってたから、カズを問いただしたけれど最後までシラを切られた。
一人暮らしをしながらコツコツと貯めた、たった数十万の貯金かもしれないけれど
それをパチ○コに使われたのが許せなくて
その時やっと目が覚めたような気がして離婚を決意した。
カズは思いのほかアッサリと了承し、家から出て行った。
現金を家に置くってありえない。
なんで現金を封筒に入れて家に置いてたの?
旦那のお給料は元奥さんへの養育費と慰謝料、あとは食費、雑費、携帯代で使うから
残りの家賃、光熱費、保険なんかはその封筒のお金で払おうと思ってて
家賃の引き落としは貯金してる通帳と違う通帳だし、光熱費はコンビニ支払いにしててそろそろ請求書来る頃だから一気におろしておいたの
今思えば浅はかだと思うけど、あの頃はまさかお金を取られるなんておもってなかったしそこまで頭がまわらなかった。
特に選択肢の少ない時は選ばざるを得ない時もあるしな。余人が口を挟める部分ではないさ。
ありがとう。
選択しなければいけない時に、焦って選んで選択をミスっちゃったけど、その時々自分で道を選ぶしかなかったんだよなぁ…
続き書くね。
カズが出て行ったあと、とりあえず仕事を探し始めた。
貯金も底をついてるし、とりあえず来月の家賃なんかも払わないといけないし。
それで時給の高さに惹かれてすぐにパチ○コ屋さんに面接に行くと、その場採用してもらえて働き始める事になった。
けれど私から離婚を切り出しといてなんだけど、吹っ切れれたわけではないし、結構落ち込んでた。
何よりまたこれから1人で頑張っていかないといけないと思うと不安で仕方なかった。
とりあえず頑張って働いても毎月カツカツか、少しマイナスが続く日々で
周りが車を乗り回して遊び回ってるのが羨ましかった。
それで結局、なんだかんだ世の中お金だなって思った。
遊びに行くことも好きなものを買う事も、好きなものを食べる事も出来なくて、毎日何が楽しいのかわからなくなってきた。
だからついに数ヶ月前、自分の中では絶対にやらないって決めてたけど、夜の世界に飛び込んじゃった。
憧れてたネイルもできるようになった。
やっぱり身なりを綺麗にしてる女の人は、女のあたしでも見とれるし憧れだったからネイル一つでもウキウキだった。
周りの同業者の子達は目が飛び出るほどのブランド物をいとも簡単に買ったりしてたけど私は流石にそこまで出来なかった。
でもやっぱり、それだけの額を稼ぐって事は当たり前だけどそれなりにしんどいって事も身にしみてわかった。
好きなものを好きなだけ食べれるようになったのに、食欲もなくなった。
仕事が終われば疲れきってそのまま寝ちゃうから、夜遊びもしなくなった。
休みの日もなんだかしんどくて出かけることが少なくなった。
大金の代償は大きいなぁって思った。
いつまでも続くものじゃないし、貯めとけよ?
もう仕事に行かなくて1週間くらい。
あの仕事をもうしなくていいと思うとかなり気が楽だけど今もまだご飯も食べれなくて何もやる気がでない。
今日、久しぶりにお母さんから連絡来たかと思ったら、お金を貸してほしいと言われたから数ヶ月夜のお仕事をしながら貯めた貯金をお母さんに全部渡した。
それを手切れ金として、もうこの先一切私と関わらないと約束した。
お母さんもお姉ちゃんも、親戚含め全員。
貯金ゼロ、財布にもお金あんまり入ってないからこんな事はしてられないし、明日バイトの面接に行ってくるよ。
結局お金を持ってても必ずしも幸せじゃないって気づいたし、一体何が幸せなのかわからなくてとりあえず今まで溜め込んでたものをここに全部を吐き出させもらいました。
明日から心機一転、ゼロからのスタートとして頑張るよ!
バイトしてお金貯めて海外旅行に行って視野を広げるとか、何かの検定をとって人生を立て直すとか色々あるから頑張れ。
取り敢えずまだ希望は持てるはず。目標を持つんだ。
ありがとう。
とりあえず頑張ってお金を貯めて、少し余裕が出来たら温泉旅行にでも行こうかな。
今はとりあえず高卒の資格を取るために勉強してるよ。
そうそれそれ
本当にあなたはすごい頑張れ!
イライラしながら読んでたけど本当にすごいよ
多分飲みに行くと面白い話が聞けそうだw
もうこの先自分の親や親戚と関わらなくて済むなら安いもんだよ。
うちは家族だけじゃなくて親戚も狂ってる人ばかりだからね。
くっだらないけど笑えるようなネタならたくさんあるよww
そなのか〜 いつか聞きたいもんだなw
本当にくっだらないけどねww
人脈には恵まれてる方だからいろんな人がいるよ。
手でゴキブリを潰しちゃう人とか、ゴキブリ食べちゃう人とか、妹のチョコレートと間違えて食べちゃう人とか、バッタを試食しちゃう子とか…w
みんな変わってるけど、中身はいい人ばっかり!って言っても信憑性にかけるかな?ww
私24歳女だけどイッチと似たような人生歩んだけど、
全てがちょっとずつ私の方がソフトだけどね、
21歳で上京して前向きに頑張ってる!
天職と思える仕事にも出会えたし!
こっちきてからも色々起こるけど、
イッチとか私みたいな人生歩んできた人は
周りに恵まれるから、
学歴や職歴がなくても助けてくれる大人は家族以外にたくさんいるよ!
それにイッチは自分のこと我慢して働く根性があるから絶対大丈夫だよ!
読んでくれてありがとう。
19歳の小娘が人生?なんか語っちゃってごめんね。
私も89サンみたいに天職と思えるような仕事早く見つけたい!!
私と同じような人生歩んでても89サンみたいに強く前を向いて歩いてる人がいると思うと私も頑張れるよ!!
本当に家族や親戚には恵まれなかったけど、人脈には恵まれてると思うし助けてくれる人もいるからまだまだ頑張るよ!!
元気でた!ありがとう!
高卒の勉強してるとか頑張ってるじゃん
人生あきらめてグダグダ文句言ってる大人よりずっとましだ!
あなたらしく幸せになって欲しい
まだ人生の半分も生きてないしね、こうなったらどんな環境でもいけるとこまで生きてやるwww
高卒の勉強は習ってない事ばっかりでヴァーってなりながらなんとかやってるよ。
いつか自分に子供が出来た時に、同じ悲しい思いはさせたくないから今のうちに頑張るよ!
今は幸せになる為の準備期間として頑張るよ!
ありがとう。
そして文章がわかりやすい
ノンフィクション作家になれる
ありがとう。
国語だけは得意だったし、一時期本当に小説家になりたいと思ってた時期もあったww
元は頭は悪くないと思う。
でも考えないで行動しているよね。
何かする時はもう少し慎重に考えた方がいいよ。
自分は40過ぎても、人生の出来事こんなに整理して話すこと出来ないよ
私が馬鹿なだけかもしれないが、わかりやすいし、読みやすいので読んでしまったよ
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