ステージ4
腎臓癌→胃、肺、骨に転移
放射線はもしくホスピスに入れるの
もう手遅れ。放射線やら抗がん剤やっても副作用で苦しむだけらしい。
明日、一時退院して自宅療養に入る。
親父の意向で出来るだけ在宅で看護したいらしい。
あくまで目安だしね
せやな。けどQOLの段階やで
過去の患者からの統計的なもんちゃうかな?
統計かけど転移ものでも
悲観にならん方がいいぞ
悲観的になったらあかんのはわかってるんだけど、入院前にひどい腰痛?かと思って(かーちゃん的に)整体連れてったんやけど、道中のちょっとした車の揺れで激痛が走ってたみたいなんよな。
腎臓がもうね、かなり、やられとったらしい
腎臓か
腎臓は癌に限らずやられると最初は腰痛と勘違いする人多いみたいね。
背中に痛みがくるから。
ガンは正直他の痛みと被るみたいね
みたいやね。
ここにくるまでにかなり痛みがあったはずなんだけど我慢強かったんかな?
それかいつもの痛みと勘違いしたか
そうかい
気晴らしにでも語りな
すまんな。
かーちゃんは三人兄妹の末っ子。
箱入りで大切に育てられたらしい。
結婚当初は「消防の方から来ました」で消火器買っちゃうレベルのちょっとアレだった女らしい。
そんな、かーちゃんは料理か下手だった。
不味くは無いがなにかひと味足りない感じ。
対して親父は元コック。
そんな親父が休日に料理してる姿を見て俺も料理人を志した
せやな。
後悔先に立たず。
親孝行したいと思ったときに親はいないってのはホントだと思う。
中学に入る頃には夕飯の支度を自分から手伝うほどに料理にのめり込んでいた。
かーちゃんも「私が作るよりも○○が作った方が美味しいからねぇ」なんて冗談混じりで言ってくれてその時には完全に俺の将来が定まった様に思う。
高校に行くのは時間の無駄。「すぐに料理の道に進みたい」
反対したのは以外にもかーちゃんだった。
かーちゃんも職人系の人なんだが、自分はそれで後悔したと。「せめて高校くらいは出ておきなさい」と。
話し合いの結果、俺は調理師の専門学校へ進むことに。
ただし俺に条件を出した。
「学費の半分は自分で出しなさい」
調理師の専門学校ってかなり、金かかるのよね。
当時で月10万くらい。
俺は必死で勉強とバイトをこなし、月8万ほどの稼ぎのうち5万ほどをかーちゃんに渡していた。
当時、親父が自営業で成功していて家計的には何の問題も無く俺の学費全部を出しても家計には問題無い状態だった。
俺の両親は交通事故で逝っちまったから、親孝行できる時間なかったからさ
それは辛かったな。
俺にはまだ時間が残されているだけマシなのかもな。
そして学校を卒業。
就職。
昼間は料理屋で働き夜はキャバクラやバーでバイトしながら貯金していった。
独り暮らしながらも年80〜100ほどの貯蓄は出来ていた。
なぜここまで必死に働いたかというと、親父が独立開業したのが31歳の時。
何としても俺はそれに勝ちたかった。
親父を越えたかった。
飲食店で独立するために必要な開業資金700万を貯めるため死ぬ気で働いて技術を磨き金を貯めていった。
そこで即独立…とはいかず。
10年も同じ店に居ればそれなりの地位にもなったし、俺が抜ければ店にとって大きな穴があく。
常連さんからの信頼もあった。
要するに後継者を育てるのを忘れていたのよね。
副業をすることに理解をしてくれたオーナーや先輩、後輩を裏切る事は出来なかった。
和食とだけ。
夢にむかって猪突猛進だったから苦労とも思わなかったかも。
そして独立開業の本格的な準備に入るために退職、最終的な打合せをしてる最中にかーちゃんから連絡があった。
「たまには実家帰ってきてゆっくり休みなさいよ」と。
名義は俺の名前だったけど見覚えも無いし作った記憶も無い通帳だった。
そこには専門学校に通ってたときに渡したはずの学費、就職してから渡していた少ないながらも家業を継がない罪悪感から渡していた仕送りが全部記帳されていた。
と。
そしてその二ヶ月後に無事開店。
それから三年後の今、嫁と娘二人の家庭を持ち順風満帆…
とはいかなかった。
客も引いた午後11時過ぎ、親父が店を訪ねてきた。
そして告知を受けた。
今までも、誰かのため、来てくれるお客さんのためにと思って料理を作ってきた。
けどそれは対価があってこそのことだった。
今度の休みには対価を求めない、ただ一人のためだけに料理を作ろうと思う。
こんな思いは最初で最後にしたい。
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ヒーリングなぁ。
性別
年齢
職業
書き込み内容から大体で察してくれ。
アロエジュースは試したか?
ステマと思われても構わないから、とりあえずググって見ろ。
メーカーは問わない。
アロエは昔から体にいい言われてるもんな。
せやけど、火傷とかとちゃうねんて。
正直、まともに喋ることが出来るかさえ不安
気を落とさないようにね
今も痛みはある。強い人だから看護師さんにしか痛いとは言わないけど。
今はモルヒネの一歩手前でなんとか。
医師からはモルヒネも処方出来ますと言われてます。
明日事故で死んでも後悔の無いように楽しい事しようよ
心嚢に水が溜まり、心タンポナーデの危険があるため水を抜く手術のために再入院。
おかん、がんばれ
僕は高校生になった頃に体力が急に落ちた色々な病院や検査をした原因は不明
痛いとか苦しいとか言わなくなったけど親に甘えてる、甘える事にした
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