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絶対に"統合失調症"の前でやってはいけないこと・・・
おとんは阿部寛似のクールなSE、おかんは相川ななせ似の明るい人だった
おかんと俺の年齢がクレヨンしんちゃんとそのまんま設定が同じで、よく重ねて見てた気がするwww
おかんよく怒ってたしみさえになんか似てたしwww
このばあちゃんというのはおとん側のばあちゃん
おかんの方の家族は色々複雑であり、遠いこともあってあまり合う機会がなかったが俺のほんとのじいちゃん極道らしいwwwカッコヨスwww
俺はじいちゃんばあちゃんも大好きだった
家は離れていたが、よく大きな休みを利用して泊まりにも行ってた
しかし思えばおかんが一緒にばあちゃんち行く事ってあんまなかったんだよな
仲悪かったのかもしれないwww「ままも一緒にいこうよー」とか言ってた俺テラ残酷wwww
弟1は俺の4つ下で、超かわいいwww弟2はその更に2つ下、人見知りなやつだwww
おとん、おかん、俺、弟1、弟2 の家族5人、プラス猫2匹で俺んちは最終形態になった
この頃までは幸せだったんだぜ!ガキだったからそう思ってただけかもしれないがwwww
12月25日の朝には必ずサンタさんからプレゼントが届いたし、おとんは仕事で忙しかったけどおかんとよく散歩いったりしてなあwww弟達もだいぶおっきくなってんのに甘えん坊で、乳母車にむりやり三人のったりしてwwwww
でも今思えば、幼少期の思い出っておかんとばっか
おとん登場すくねえwwwwww
この時点では5人だぜ!プラス猫2
この時点ではな…
子供の前で言い争いするのって見た事なかったし、おとんは普段クールなぶん怒ってる姿がめちゃくちゃ怖かった
ケンカの発端は些細な事で、部屋が汚いとかそんな感じだったと思う
おかんは掃除がへたくそなんだ。すぐ散らかるwwww
おとんの強い口調と、おかんの泣きながら叫んでる姿見て、うちってもしかして仲悪いのかなあ…とうっすら思い始めた
Tだ。Tは家も近く、クラスも一緒なので毎日のように遊んでい
んでこれがまたTんちってめちゃくちゃ仲いいのよwwwwそりゃあもうおとんとおかんが俺らの前で一緒にお風呂入るくらいwwwwww
更にT家はかなり裕福で、俺んちにないもんがいっぱいあんの。おっちゃん家電マニアだから、部屋の壁一面に映せるホームシアター買ってきたときは笑ったわwwww
そこでまた気がついたのwwwwwww俺んちってイベントねえwwwwってwwwwww
クリスマスはあったけどさ、お花見とか、おひなさんとか、キャンプとかそういうの。家族全員でどっか行くって今まで一回もなかったかもしれないって気がついちゃったのwwwwwwww
まあそうは言っても当時小学生で、「離婚」なんて言葉知らなかったし、Tんちはいいなーって羨ましがる程度だった
ただ、今思い返すと小学生ながらに辛かったんだと思う。このへん思い出そうとするとちくちくすんのwwwww
だって小学校でかう鍵盤ハーモニカとか、そろばんとか、裁縫道具買ってくれなかったんだもんwwwwwみんなきれいな新品のやつ使ってる中で、おかんのお下がりの黄ばんだ鍵盤ハーモニカ使うの恥ずかしかったwwwww
そのせいで持っていきたくなくて、みんなに見られるのが恥ずかしくて、よく忘れ物をするようになったwwwww
そしたらね、担任の女教師に嫌われたのwwww明らかに悪い方の贔屓されるようになったwwwww
極めつけは美術の時間だった。俺小さいときから絵が好きだったんだ。それが今でも影響してるけど、アニメとか漫画も好きだったし、ちょこちょこ自作の漫画とかも隠れて書いてたwww黒歴史だけどねwwww
それで絵がわりとうまかったんだ。周りの小学生よりは飛び抜けてうまかったと思う。よく運動会のしおりの表紙とか描く係になってたwww
俺は漫画とか描いてるの秘密にしてたし、そんなことをクラスのみんなの前で言われてめちゃくちゃ恥ずかしかった。
帰って元気がないのをおかんに心配されたから、泣いて話した。「すごく恥ずかしかった、絶対にせんせいに嫌われてる、学校に行きたくない」って。
女教師に怒りにいって、次の日女教師が俺に謝ってきたよwwwwww「今までごめんね」だってwwwww俺完全勝利wwwwwwww
その日から女教師の態度は一変したし、おかんをちょっと恥ずかしいと思ったけど、俺の為に戦ってくれたおかんを正義のヒーローだと思った
おかんはきれいで他の保護者より若かったから、よくきれいなおかあさんだねって羨ましがられたりもした。そこは凄い優越感があったwwwおかんのきれいさならクラスの誰にも負けない自信があったwwwwww
休みの遊びの約束もすっぽかされることが多かった。公園いこうって行ってたのに昼になっても起きなくて、「ぱぱ公園いこうよ」って起こしたらきれられるwwwwぱぱん寝起きわりいんだよねwwww
こんな感じでおかんとよく散歩したりかいもん行ったり、おとんに気を使いつつたまに一緒に遊んだりしながら俺は育った。そして中学生になった。この頃から、色々と今まで気づかなかった事に気がつきだした。
前から仲良くはなかったけどさ、なんというかたまに一緒に車にのっても無言だったり、おとんが出てったあとにおかんが泣いてたり。
あれ?って思った。
今まではさ、ごくたまにだけどおとんとおかんは笑い合ってたんだ。おとんが「ままちょっと太ったやろ」とか言ってさ、おかんが「もーー!」って笑いながら怒ったり。俺はそういうたまにしかない二人の会話を聞いて嬉しかった。でも、そういうのが全くなくなった。
Tとも相変わらず仲がよく、同じ部活に入って毎日遊んでいた。余談だがその頃Tは団地から超豪邸の一軒家に引っ越すwwwww格差社会やべえwwww
おかんはこの頃から少しずつおかしくなってて、たまにヒステリックを起こしたり泣き出したと思えば過呼吸で倒れたり熱出したり寝込んだり、そんな感じが続いた。
俺は週末出した洗濯物が洗濯されてなかったり、学校からのプリントなくされたり、普通の家庭(特にTんちはおとんもおかんもしっかりしてた。厳しいとこもあったが本当に普通の家庭だった)が当たり前なことがうちの家では当たり前じゃないことにイライラしていた。
弟達は本当に熟睡してたみたいだけど、俺たまに寝付き悪くて布団に隠れて漫画よんだりゲームボーイしたりしてたんだよね。それで俺だけがおかんとおとんの話し声に気づいた。
てか同じ部屋で深刻そうな話すんなよっていうwwwwww
今まで目の前でけんかしてるのは見た事なかったからね
でもおかんは泣き続けてた。おとんが何かを燃やしてるのが見えた。
おかんが「子供は私が引き取る」とかなんとか言ったのが聞こえた。中三の俺には衝撃が強すぎてこれ以上聞きたくなくて「う〜んムニャムニャ」って寝ぼけて起きるふりをしたwww
おかんは急いで涙ふいてた おとんも立ち上がって別の部屋行った
何か人生の境目のときに環境が悪いと辛いよな。俺もそれで受験失敗しかけたもんね。
俺はストレス発散としてノートに愚痴や恨みつらみを書きなぐってたwwwww寝暗wwwwww
1日目はショックすぎて何もできなかった。聞きたいけど聞けないし、聞くの怖いし。
まさか離婚?って思ったけど、人間関係の狭い田舎で離婚してるとこなんて俺の周りにはいなかった。だからそれはさすがにないだろうって信じてた。
まあ大人になった今離婚って割と多いんだなーって気づいたけど
といっても中三の俺にできるのはかばんや引き出しあさる事くらいだったんだけど。
いつもおとんが使ってるいろんな仕事関係のプリントが入った引き出しを調べた。それらしいものは何もなくて、代わりに俺がちっさいときにあげた手紙や似顔絵が出てきた。
おとんも俺らのこと大事に思ってくれてはいるんだって思った。
ちなみに引き出しの奥からはアスカラングレーのフィギュアが見つかったwwwww
そこまではいつものことだったんだが、灰皿の仲に何か燃えカスみたいなのが残ってた。紙だった。
ちぎれててところどころやぶけてたけど、合わせてみると何か文字が書いてあった
おかんの字だった
「休みの日はいつもどこかいってるみたいだけど、りえさんですか?それとも○○さんですか?」
みたいな
多分他にもいっぱい書いてたけど、俺ん中で「りえさん」っていう女の名前が出てきたことが衝撃すぎた。今でもそこだけは覚えてるんだけどそれ以外は頭真っ白になってぶっとんじゃった
おかんの文章もいつものおかんじゃなくて怖かった。だって俺の前じゃにこにこ面白くてきれいなおかんだったもん。
この辺から1、2年くらいショックが強すぎて、毎日が辛すぎて、実はあまり記憶がない。あった出来事や衝撃的な言葉は覚えてるんだけど、毎日をどう過ごしていたか覚えてないんだwwww
あの頃は毎日泣いてたはずなのにな
弟達は本当に何も知らないから、頼むからこんな子供が寝てる前でそんな話しないでくれよって思った。最初の方はショックだったけど、それが長引くに連れてだんだんむかついてきた。
なんで受験頑張ってるのにこんなこと知らなきゃいけないんだ。いっそ話し合いの途中に起きてやろうかwwwwwとか色々考えた。辛かったけど、Tんちとか、周りの友達んちって仲いいとこばっかだったから相談もできなかった
でもやっぱ仲いい友達の家族とか見せつけられると悲しくなって、「なんで自分だけ」って泣いたりもしてた。兄弟の中で俺だけがおとんの浮気を知っている。弟達は何も知らずに今まで通り過ごしてる。しんどかった。
高校に入ってから、親の不仲はより一層ひどくなった。話し合いすらなくなった。家に一緒に居ても全く会話がない。気を使って二人を巻き込んで話そうとするも、どっちかが無視wwwwww俺健気すぎwwwwww
5人揃ってんのに、ご飯は4人分なのwwwww「お父さんのぶんは?」って聞いてもスルー
wwwwwwおとんは仕方ないから寝るか、無言で弁当買いにいって他の部屋で食べてたwwwwwww
もうね。狭い家でそんなことすんなよとwwwwwおとんのなんとも言えない顔も、弟達の戸惑った感じも全部丸見え。
それでもまだいつか関係は修復できるって信じてた。だって俺たち子供がいるのに、家族バラバラになんかなるはずないって。
まあこんなことがありながらも俺はぎりぎり道を踏み外さなかったし、遅刻や早退は多いながらも高校に通った。
中学から続けてた部活にも入って友達もできた。基本の性格は変わってないが、高校デビューは成功だったと思う。
今までより爆発的に友達が増えた。
ただやっぱり家に帰るとしんどくて、居心地のいい場所ってのはなかった。
だから家にいるときはずっとゲームしたり漫画よんでた
改行こんな感じでいいんかな?
読みにくかったり竿して欲しいとこあったら言ってくだされ!
なんでうちだけって気持ちが強かった。それであんなに頑張ってた部活もずる休みしたり、
制服きたものの遅刻したり学校はなんとなくしか行ってなかった。
かといって家がいいワケでもなかったので学校に行くしかないんだけどwwwwww
弟達はというと、弟1は超絶リア充に、弟2は人見知りネクラにそれぞれ育った。
今まで俺んちって、クリスマスイブの夜に必ずサンタさんがきてたのね。
うちって貧乏なのにさ、クリスマスの朝起きると必ず枕元にプレゼントがあったんだ。
しかもそれって結構高価なものが多くてさ、プレステとかゲームボーイとか、俺らが欲しいのばっかり。
三田さんに手紙書いて、サインも毎年もらってたwwwwwww
だからサンタさん中三まで信じてたんだよねwwwwwww
でも、家族がだんだん仲悪くなってきて、忘れもしない中三のクリスマスだよ。
その日俺は補講があって朝早く起きたんだよ。そしたらさ、プレゼントが毎年に比べてすんごい薄いの。
あけたら中身は図書券1000円分だったんだよねwwwwwww
あwwwwwサンタさんっていないんだwwwwwwって気づいた悲しい日だったよ…
久しぶりにおとんとおかんの言い合いを聞いたんだ。恒例の深夜のね。おかんは例によって泣いてた。
んでまた「子供は〜」とか、「どっちが出て行く」だとか、そんな話が聞こえてきたんだ。
この頃には少し慣れてたから、「ああまたか…」って思ってた。弟達には聞かせないでほしいなーって。
んで次の日。
久しぶりにおとんの引き出し見たんだよね。そしたら、今までになかった離婚届が一番上に入ってた。
見た瞬間号泣したし、じゃあうちら兄弟はどうなるんだよって思った。色々先が不安になった。
んでもうヤケになって、ひきだし全部あさったの。そしたら、おかんからのおとんへの手紙が入ってた。
今度は燃えてなくてきれいな状態だったから全部読んじゃった。
結構長い文章だったんだけど、覚えてるのは最後のとこだけ。
「あの日私はあなたにして欲しいといいましたね。
あなたの答えはノーだった。馬鹿みたいだけどそれがあなたの気持ちを試す最後のチャンスでした。
あなたは私を抱いてくれなかった。他の女の人は抱いてるのにね。
色々ひどいことをされても、そういう面だけは信じてた。
でももう限界です」
みたいなの。
だから手紙の内容は生々しくて、本当にショックだった。それと同時に、
おかんの気持ちを考えたらまた泣けた。おかんはおとんのこと好きだったんだなって。
今結婚する友達が増えてる中で、親は親の前にまず大前提として男女であって、
恋愛の延長上に結婚があるんだからだいぶ両親の気持ちも理解できるようにはなったんだけどね。
離婚届には、おかんの名前だけサインしてあった。ああ、うちんちって本当に終わるんだって思った。
親の話って心が痛いわ…
一番の犠牲者は子供だもんな。
考えてさせられる。
幸い自分はもう高校受かってたし、心配なのは弟たちだった。甘えん坊な二人の弟。
親がこんなことになってるなんて全然知らないし、男女間のことなんて理解もできないだろう。
そんで、いつ告知されるんだろうってヒヤヒヤしながら毎日を過ごしてたんだけど、
ある日おかんは家を出てったきり帰ってこなかった。
凄く心配した。おとんに聞きただすと、最初はすごいあやふやにされた。
それでも1週間たって帰ってこなくて、弟たちも心配してて、そしたらおとんが
「おかあさん今体調壊して入院してる」って言ったんだ。
うちら兄弟はそれを信じるしかなかった。だって本人とは連絡とれないんだもん。
まあこのときの真相も後で知る事になるんだけどねwwww
ありがとうwwww
指摘もあったし一人称私にすっかな!
ただ、正直家の空気はましになったんだ。私はおとんがはみられてんの見るのも辛かったから。
弟達はおとんよりおかんになついてたし、おかんがおとんを無視するなら弟達も言いなりというか、
それに従ってた。
私はおとんのことも好きだったからかわいそうって気持ちが強くて、
浮気してたとしてもやっぱり見るのが辛かった。
おかんが出て行った後は、おとん仕事帰るの忙しいけどおとんとのコミュニケーションが増えた。
弟達は寂しかっただろうけどね。当時中1と小5だもん。
私はある程度性格の基礎ができてからの出来事だったから大丈夫だったけど、
このせいで弟1は特にこの後の人生に大きな影響が出た。
性格少し歪んじゃったんだよ。素直でかわいいやつだったのに。
今までおとんとちゃんと喋った事なかったけど、おかんが居なくなっておかんの仕事はおとんの仕事になった。
慣れない料理やら洗濯やら、男手ひとつで頑張ってた。
割とさむいおやじギャグ言うし、おならだってよくするwwww
浮気知ったときにはショックだったけど、それを挽回するくらい主夫を頑張ってくれた。
高校のお弁当だって毎朝作ってくれた。冷凍食品が多くて茶色い弁当だったけどありがたかった。
ただやっぱり弟達とは少しウマが合わなくて、私がよく仲を取り持ってた。
弟達はふたりともちょっとシャイというか、思った事を口に出せない。おとんのこと怖かったんだと思う。
優しいおかんに慣れて育ってたから、おとんとはやっぱり少し距離をおいてるっぽかった。
サックスは始めであったときとがっていたwwww敵も多い子だったし、怖かった。
ただ話してくうちにサックスの家も相当複雑で、両親ともにダブル不倫という重い境遇に居る事がわかった。
サックスには今まで人に話した事がなかった家のことを全部話した。サックスは泣いて話を聞いてくれた。
多分サックスに合わなかったら私は部活も高校も辞めていた。どうなっていたかわからない。
高校生ながらに親のことを色々知ってしまった私たちはなんか悟りすら開いていたwwwww
本気のけんかもしたし、部活で全国にも行った。今でもよく会うし、多分一生仲いいと思う。
本当に今思えばこれが私の人生の分かれ道その1だったと思う。
高校でこんな理解者に出会わなかったら私は高校を中退していた。
部活だって奇跡的に友達のおかげで最後まで続けられた。本当にこれが救い。
高校あたりが今の私の基盤になっているし、部活をやりとげたことが私の中の芯になっている。
部活のこともウォーターボーイズばりの青春ストーリーがあったんだけど、ここでは関係ないから割愛www
部活も楽しくなり熱血部活少女になっていた。恩師もできた。
本当にこれが分かれ道。
弟は逆に、思春期まっただなかで家庭のごちゃごちゃがあったせいで勉強をしなくなった。
これも分かれ道。弟1は中学で学年1モテ男の超絶リア充だったけど、数年後家庭環境のせいで道を踏み外す。
弟2は更に根暗にwwwww
おかんから電話がかかってきたの。その時点ではまだ電話のみで、メールとかはつながらなかった。
だからおかんからの電話を待つしかない状態。久しぶりすぎて、「どこおるんよーー!」って怒った。
おかんは「ごめんねー体調悪くて…元気?」みたいなこと言ってきた。なんか元気なかった。
そこから一週間に一回だったり、一ヶ月に一回だったり、不定期で電話はつながるようになった。
半年もたてばおかんが居ない事にも慣れてたし、割とこの頃は穏やかに暮らしてた。
おとんにも普通に「今日はおかあさんから電話あった」とか言ってたし。
おとんとタイミング会わせたんだろうね
久しぶりの再会すぎて泣いたwwwwww
その日は少しだけ話して、でも今どこにいるかとかそういう話は答えてくれなくておしまい。
また来るからって別れたけどこのまままた連絡つかなくなるんじゃないかとか不安だった。
まあ結局この後また半年くらい会えなくなるwwwww
この頃は部活が忙しく、先輩も居なくなって毎日部活に燃えてた。
おかん問題も、もはや1年も立てば割とふっきれてて、居ないのが当たり前みたいになってた。
家事はおとんが頑張ってくれてて、おばちゃん(おとんの姉 スナック経営 ちょっと苦手)も
ご飯持ってきてくれたりしてた。
弟2は小学校卒業式におかん行けなくてかわいそうだったけど。
んである日、ついに家族の終わりがやって来る。
弟達にも同じこと言ってた。緊張した。ついになんか結論が出るのかなって。
その日は部活休んで言われた通りまっすぐ帰宅した。弟達ももう集まってて、兄弟三人並んで座らされた。
テレビ消して、おとんが正座して口開いた。こんな改まるの初めてで、めちゃくちゃ緊張した。
「もう知ってるかもしれんけど、お父さんとお母さんは離婚することになりました。」
こんなにたくさん見てくれてたのかー
先にいっとくと今日中に終わるかはわかんない…最近までの話だから長いんだー
だから眠かったら寝ていいからね!
私の体調気遣ってくれてる人はありがとう!優しすぎて涙でるー
涙が出た。横を見ると弟達も泣いてた。
んでおとんは更に衝撃的な一言を言った。
「明日、おかあさんがこの家に来るから。お父さんは席はずすから、みんなで会い。
んで、実はお母さん赤ちゃんおるから。」
は!???って感じ。離婚までは想定してたけど、それは本当に初耳だった。
大型トラックにぶつかったみたいな衝撃だった。
意味がわからなかった。赤ちゃん?親だれ?私の兄弟になるん?とか色々考えが一瞬にして巡った。
おとんに聞いたら、
おかんは家を出てったときに頼った男の人がいたらしい。それはおとんじゃない、別の人。
その人との子供を妊娠し、もう既に生んでるとのことwwwwwww
本当についていけなかった。もうこの世に私の兄弟がもう一人いるってことかwwwwww
てか電話とかしてたじゃんwwwwいつの間に生んでんのwwwwwww
そのときは泣いて泣いて、弟達も号泣して、変な空気のままみんな泣きつかれて寝た。
サックスにももちろん話した。泣いて応援してくれた。
一日たって芽生えた感情は、再会の喜びでも、離婚の悲しみでもなくて、
おかんと赤ちゃんに対する憎しみ。
前日からずっと色々考えた結果、本気で殺そうとまで考えたんだ。それか自分が自殺するか。
それくらいおかんの行動は、裏切りにしか思えなかった。おとんの浮気のときよりショックだった。
高校二年のガキが考えることだから今思うとばかだなーって思うけど、
本気で包丁がどれだけとがってるか確認したりした。興奮したjk怖い。
あのときは、おかんに裏切られたショックは一生消えないもんだと思い込んでいた。
あんなに辛い感情の中で、これから未来の幸せが想像できなかった。
子供だったから、実家が全てだったし家を出る事もできなくて、もう終わりだって思ってた。
それとも私だけ自殺して、おかんに一生罪悪感を背負わせた方がいいかな?とか
色々危ない事考えた。感情が溢れ出して、ノートに「しねしね」書きまくったwwwwww
でもふと、私が殺人鬼になったら弟達はもっとショックを受けるのかな とか考えて決心は揺らいだ。
とりあえず、家に帰って自分がどんな行動するのか自分でもわからなかった。
おかんに会いたいような、でも会ってしまうと子供の存在も認めてしまうから会いたくないような、
凄い複雑な気持ちで遠回りしながら家に帰った。
部屋まで行くと、おかんと弟達と、あと赤ちゃんがいた。
弟達は昨日泣いてたのが嘘みたいに嬉しそうに笑っていた。少し弟達にも裏切られたような気がした。
あんたらうちら兄弟を裏切ったおかんをなんにも思わないの?って思った。
でも、おかんの顔を見た瞬間今までの憎しみの感情が全部ふっとんだ。
気づいたら、包丁取り出すどころかおかんに抱きついてわんわん泣いてた。
おかんも私を抱きしめて泣いてた。
中学生や小学生の弟が笑ってるのに、高校2年の長女が一番大泣きしたwwwww
「ほんとにごめんね…」おかんが泣きながら謝った
あんなに殺そうと思ってたおかんはやっぱり昔のままおかんで、
ぐちゃぐちゃに泣いてるおかんを見ると怒る気にもなれなかった。会えたことが嬉しかった。
やっぱり離れても家族は家族なんだなあと実感した。
んで、少し落ち着いてからやっと赤ちゃんのほう見た。
実はというと、私はおかんよりも赤ちゃんの方が憎かったんだ。なんでうちら家族は壊されてんのに、
生まれて来るあんたには家族があるんだって嫉妬してた。
おかんを取られた気にもなったし、うちの兄弟は三人だけだって思ってた。
でもね、見るとやっぱかわいいんだよ。なんの汚れも知らない顔してる。
この子に罪はない、顔みた瞬間思った。
色々心に傷はおったけど、おかんはおかんだし、また会えないのは辛い。
その日は一緒にご飯食べて、おかんはまたどこかに帰っていった。
現実的な話をすると、結局私たち兄弟はおとん側に引き取られることになった。
といっても、名字もこのままだし家も今のままの団地。何も変わらない。
この一年でおかんが居ない事には慣れてたし、離婚したからといって何が変わる訳でもなかった。
ただ、おかんとはちゃんと連絡が採れるようになった。それが嬉しかった。
おかんは赤ちゃんと、その父親と一緒に暮らすことに。おかんのことは許せても、やっぱり相手の男は
気に入らないのでそいつの話は一切聞いてない。
だから今でもそいつの名前すらしらない。
あ、ちなみに赤ちゃんは女の子でした。これから妹と呼びます。
結果的に離婚したことによって格段に気持ちは楽になった。もうあんなけんか見なくてすむんだから。
ここから数年間、間にちょくちょく問題はあるもののピークよりはかなり穏やかに暮らす事になる。
私は高校生活で彼氏もでき、友達に恵まれ、部活も相当頑張った。
高校後半はリア充だったと思う。部活のおかげで熱血的な性格になり、信じればかなう!!
といつも思っていた。サックスもかなり熱血系で、文化祭も体育祭も凄く楽しめた。
弟1はモテモテ人生を歩み、中1にして初カノ、中学を卒業するまでに計4人の彼女と付き合うことになる。高1には脱DTの超絶リア充だ。しかし勉強不足がたたって公立高校に落ち、県内トップのDQN高に進学したことによって今後の人生が詰みかける。
自分に自信をなくす。兄コンプレックスからかなり人見知り軽度のコミュ障で厨2病を発祥する。
髪型はバンプのボーカル。しかし心はとても優しく育つ。多分今もDT。
こんな感じで兄弟は育っていく。私ももう以上家庭のしんどいことは起こらないだろうと思っていた。
とりあえずこれで離婚編完ってかんじ。
そのあと最近の話に続くんだけど、その前に離婚直後の周りの反応とかちょっとだけ書こうと思ってる。
遅い時間なのにみてくれてありがとう。
なんか質問あったら答えます。
スペックわからんから今いろんなスレのスペック参考にしてたとこwwwww
25歳女
157 54キロ ごめんぽっちゃり
スリーサイズはわからんけどD?
恋人いない!四年くらいいない!
犬猫大好き!!猫の集会見つけるの超得意
動物系の仕事するくらい動物好き
猫は三毛、白黒、茶虎、白+キジ柄が至高!!
こんな感じ?まあまあアクティブよーん
集会所見つけスキル羨ましすぎる
ヒント 神社 公園
ほんじゃあまあ、5時になったし今日は寝ます
もうほとんど寝てると思うけど、ここまで見てくれた人たちありがとう。
また明日これたらきますー
たくさんの人が保守してくれてたみたいで感謝!!
あいほんからときどきスレ覗いて保守のレスみてにやけてたよwwwww
早く規制解除してほしいぞ!!
とりあえず親は離婚。
私たち兄弟はおとん側、おかんは妹と相手の男と3人で離れて暮らすことになった。
とは言っても同じ市内には住んでいたのでたまにおかんにも会えるようになった。
あれだけ憎しみを抱いてた妹も、やはり触れればかわいいと思ったし、
ふとしたときにおかんはもううちらだけのおかんじゃないんだなって寂しさはあったものの、
毎日は平穏になった。
でも、やっぱり周りの反応や態度はいいものばかりじゃなかった。
高校の友達には凄く迷惑をかけた。
サックスには全部話していたから、私がたまに部活休んだり学校休んだりするのも理解してくれていた。
でも周りの子はそうじゃなかった。大会前で練習が大変なときに練習を休む私を
、快く思わない子もいた。まあ実際簡単にしか話してなかったから私も悪い。
離婚後はちゃんと部活にも参加するようになったのでこれは次第に解決していった。
でも、やっぱり育った環境が違う人に何を言っても伝わらないって学んだ。
小学校からの友達(Tではない)の家に遊びにいったときのこと。
その子のお母さんはザ保護者って感じの人だった。世話焼きでうわさ話が好きで…ってかんじ。
まあ悪い人ではないんだけどね!
「こないだ1のおかあさん久しぶりにみたよ」って言われたのがきっかけで、友達に軽く離婚の事、
妹ができたこと話したんだ。そしたら、
「やっぱり!?うちのお母さんが絶対1ちゃんのお母さん妊娠してるでって言ってたもん」
って言われた。
やっぱり団地内で少し噂になってたみたいで、好奇心で噂のマトにされてたのを知って凄く嫌な気分になった。
これがきっかけで、もう聞かれない限り自分ちのこと話すのは辞めようって思った。
じいちゃんはこのとき既に他界してたんでおとん側は女しかいなかったんだ。
女の悪口ってえげつない。
私はばあちゃんのことも好きだったし、長女ってこともあって一番かわいがられてた。
だからばあちゃんは私に激あまでめちゃくちゃ優しかったんだ。
「おなかすいてないか?お菓子いらんか?」ってすごい優しいばあちゃんだった。
離婚後にばあちゃんちに行ったときに、ふたりきりになったとたん言われた。
「1はあんたのお母さんみたいな人間になったらいかんよ」って。
汚いものの話でもするみたいに、「1はかわいそうにね。1達を捨てて他の男のところに行くなんて」
って何度も言われた。
ばあちゃんは好きだったけど、おかんの悪口を聞きたくなくてばあちゃんとあまり話さなくなった。
おばちゃんにも似たようなこといっぱい言われた。
「お母さんとは連絡とってるの?お父さん男手ひとつで家事頑張ってるのにねえ
かわいそうなお父さん(自分の弟)」
っておかんへの嫌味いいながらご飯作って持ってきたりしてた。
正直家の事には関わって欲しくなかった。
私を見つけたとたん、「1ちゃん!!!少しだけ話させてくれんかなあ!?」って凄い勢いで話しかけてきた。
Tも一緒に居たけど、あまりにお願いしてくるから少しだけカフェ行って話聞いた。
そしたらTがいる前で泣かれた。
「1のお母さんはね、1達に会えなかった1年間ずっと泣いてたんだよ。赤ちゃんができたときだって
降ろして自殺しようとしてた。泣いて吐いてを繰り返して、やっと決心して産んだんだよおおお。でも、1達の事すっごく大事に思ってるから、それだけは忘れないであげてねええええ!!!!」
って。おかんが苦しんでた事くらい痛いほどわかってる。でもそれと同じくらい私だって傷ついた。
おかんの友達がおかんをかばってることは凄く伝わった。でもそっとしといてほしかった。
Tもひいてたしwwwww
正直こういう偽善みたいのは本当にうっとおしかった。
弟達だって離婚したことによってそういう嫌な思いも少なからずしたと思う。
高校は楽しかったけど、こういう周りの環境から抜け出したかった。
家族を少し距離をおきたかった。噂だらけの狭苦しい田舎にも嫌気がさしてた。
んで、私は高校を卒業したら県外に出る事を心に決めた。
まあ進学についてもひともんちゃくあったんだけど。私は本当は大学に行きたかったんだ。
同じ部活の友達と、推薦で受験を希望していた。大学に行っても一緒に部活は入ろうねって約束して。
金銭的にうちが厳しいのは分かってた。でも進学校で生徒のほとんどが大学に進学するうちの高校で、
一人おいてけぼりにされるのは凄く焦った。キラキラした未来に私も一緒に行きたい!
そう思って頑張って受験勉強した。
で、なんとか大学合格。友達と泣いて喜んだよ。でも合格発表の日の夜、おとんに
「やっぱり金銭的に大学は行かせてあげられない。行けても2年が限界だ」
って言われた。
私が大学に行ったら弟達が進学できなくなる。そう言われておとんと大げんかした。
合格しちゃったんだよおおおお!!!!やだやだ絶対大学行きたい!!!!
部活がしたい!!!!お願い!!!!バイトも頑張るからああああああ!!!!!」
泣きながら土下座したwwwwww
だって私推薦がだめだったときのためのセンター講座まで受けてたんだよwwwww
なのに大学やっぱ無理とかwwwwwwwマジ勘弁wwwwwww
「1にとって部活がどれだけ大切なのかはわかってる。(実際全国行くくらい頑張ってた)
1が大学行きたがってるのもわかってたから、なんとかしてお金をやりくりしようと思った。
奨学金や教育ローン、色んな手を使って1が大学に行ける方法を考えた。
それを算出したり見積もりだしたりする間、希望があるうちは受験勉強を頑張ってほしかった。
でも、やっぱり数年先まで計算した結果、入学はできても2年くらいで学費が絶対に払えなくなることが
わかった
本当にごめん」
現実的に説明されて、本当に私は大学に行けないのかと分かったとき目の前が真っ暗になった。
他の子は簡単に手に入るものがなんで私は何も手に入らないんだ。
泣きまくって、怒鳴りまくって、んでその日の夜家出したwwwwwwww
おとんと言い合いをしたのはこれが初めてでこれ以降もない。
夜中の公園で月を見ながら冷静に考えて、高校生の力じゃなんにもできないことに絶望した。
結局頭冷やして、どんなに願ってもかなわないことってあるんだなって悟った。
家に帰って自分の新たな進路を探そうと思った。
「二年なら学費出してくれるんでしょ」
って無理矢理家を出た。
大学に行きたかったのは本当だが、それよりも家を出たかったんだと思う。
一年バイトして学費を稼ぐって手もあった。でもそれをせずに適当な専門に入学した。
今思えば人生とおまわりの始まりだなwwwww
失敗して得たものも大きいけどね。
おかんも応援してくれたし、おとんは毎月少ないながらも仕送りをしてくれた。
家をでて初めての一人暮らしが始まったんだが、もう天国だった。
ホームシックなんてもんは全くなかった。
最初文句いってた専門ではたくさん友達ができた。自分が本当にやりたかった専門分野かと聞かれると
イエスではなかったが、それを忘れるくらい毎日が楽しかった。
上京してすぐにバイトも始めたんだけど、バイトでもおもしろいくらいに友達ができ、好きな人だって
できた。朝から夕方まで学校いって友達と遊んで、夜バイトにいってたまに飲み会に参加する。
人生で初めて心から楽しいと思った専門2年間だった。
していたと思う。離れて暮らしているからか、自分の家庭環境の事も気にならなくなるほど毎日が充実していた。
大学コンプレックスはやっぱり少しあったけど、バイト先の他の大学の子とキャンプ行ったり
合宿したり、かなりリア充な生活を送れたんじゃないかと思う。
おとんに電話しては弟達の近況を聞いたり、そんな感じで本当に平和な二年間を過ごした。
前にちらっと書いたけど、公立に落ちて入学したのは県内で有名なDQN高。
部活もあってないようなもんで、特に弟の学科は校内でも更にDQNの巣窟だった。
金髪茶髪は当たり前、大学進学率ほぼゼロの底辺高校だった。
弟1はもともと天性のリア充の素質があり、私とは比べ物にならないほどコミュ力に長けていた。
そんで中学では運動部で頑張ってたもんだから、女子のファンがついてクラスでも中心的存在だった。
弟1も、部活を頑張ってたんだ。高校に入っても部活を続けるつもりだったらしい。
先輩との折り合いが悪くてすぐ退部する。
このときのこと思い出すと胸が痛くなる。
中学で自分のラケットやジャージ買って嬉しそうにしてた顔とか、試合で負けて落ち込んでた顔とか、
私は弟1が部活大好きなのを知ってた。
だから高校でせっかく入った部活を辞めるって言い出したとき、凄くショックで必死に止めた。
正直幸せな大学生が羨ましすぎて嫉妬してたことはある。
でも大学の大変さは大学行った人にしかわかんないし、苦労したからって私が偉いわけでもない。
私は人生に遠回りはあっても無駄な事なんてひとつもないと思ってるから、大学に通って何かを
得られたと気づけたなら、親に大学に行かせてもらった意味だって充分にあると思うよ!
部活辞めるって、学校での自分の居場所がなくなる感じするんだよね。
私も何度か辞めようとしたけど、友達が止めてくれたから最後まで頑張れた。
その結果部活をやりとげて自分の力の限り頑張れたっていう事実は、その後の自分の大きな自信になった。
だから弟1にも最後までやり遂げて欲しかった。絶対後悔する、辛いのを乗り越えたとき本当の喜びが
あるって、かなり熱く説得したけど、弟1は結局部活を辞めてしまった。
部活を辞めてからの弟1の転落っぷりは凄かった。
中学からずっと一筋で頑張ってきた部活を失った弟1は、なんにも頑張らない人間になる。
柄の悪い先輩とつきあい始め、服装や髪型もどんどん変わっていった。
B系ファッションに走ったり、茶髪になったり、どこで手に入れたのかわからない高価なジーパンや
なぜか携帯を何台ももったりしてた。
狭い団地に女連れ込んで家族の許可なく泊まらせたり、夜遊びに出て家にも帰らなくなった。
弟1はどんどんDQNに変化してった。
近況を聞くくらいだった。
おとんとおかんはうちら兄弟のことについては離婚後も報告し合い、助け合うという方針になっていたためおかんも弟1の状況はよくおとんから聞いており、心配していた。
ちなみに離婚後しばらくは、おとんおかん間の関係も格段に良好になった。
メールでうちら兄弟のことについては話し合ってたみたいだし、おかんに会う日みたいなのも決めてて
ふつうにおかんが家に遊びにきたりもしてた。
でもいつからか、弟1の素行不良に加え、おかんのほうにも問題が出てきていた。私は毎日が楽しくて
全然気づかなかった。
見てくれてた人ありがとう。あんま進めなくてごめんね!
詳しく書きすぎると私の半生スレになってしまうから難しい。
また明日時間があったら書きにきます。
おやすみ!
おかんのほうについて。ちなみにこの頃の話は私が家を出てからのことだから、高校までみたいに
身近で起こった事ではないんだ。だから記憶があいまいだったり、時系列が若干ばらばらになってる。
その間に私はちょくちょく実家に帰ったり電話やメールしたりしてるから、そういうときに近況聞いてた。
詳しい時期は忘れたけど、新しい男とはうまくいかなかったみたいで割とすぐに別れる事になった。
聞きたくないからあんまり聞いてないが、相手の男は以前からおかんに好意を寄せてた人物だったらしい。
おかんよりもだいぶ年下で、おかんが辛かったときに支えてくれた人だと聞いた。
妹が初めての子で、多分結婚もしたことない人だと思う。
妹ができたあと3人で一緒に住み始めたが、籍は入れてなかったので離婚のときよりはだいぶあっさり
関係は終わった。
まあ金のつながりや妹関係のことで時々連絡はとってるみたいだけど。
美人美人と書いてきたが、おかんは確かに美人だった。
同級生の保護者の中じゃダントツだったし、見た目もやることも若かった。
正義感が凄く強く、たとえ相手がどんな立場の人であろうと間違ってる事には間違ってると言う人だった。
バイトをすれば職場の中心人物になり、保護者参加のイベントごとにはリーダーに選ばれるような人だった。
おかんには何か人を引きつけるカリスマ性のようなものがあった。
どこに行っても何か革命をおこし、必ず支持者ができ、何かを変える。
そんなおかんがかっこいいと思ったし、おかんの話を聞いて育った私はおかんと全く同じ考え方を持つ
ようになっていた。
波瀾万丈で、聞くたびにわくわくした。
おかんは極道の家にうまれた。小さいときはそれこそごくせんの世界みたいに育ったらしい。
私も何度かだけ本当のおじいちゃんの家に行った事があるが、超豪邸でシロクマの毛皮(顔付き)が
玄関にひいてあったwwwww
昔から美人だったおかんはかなりモテたらしい。やんちゃな性格で、男の子の友達のほうが多くて、
運動神経もすごくよかったと自慢された。
高校のときなんか、おかんを見に他校から男子が来ていたらしいwwwwww
学生時代のことを凄く楽しそうに話すおかんを覚えている。「1はモテないの!?ママの子なのに!?笑」ってよく言われたwwwww
おとんが遊んでくれない分かなりいろんなとこに連れてってもらった。
行く先々でよく笑い、よく歌い、私たち兄弟がおかんのはしゃぎっぷりにつっこむくらいだった。
おかんは根っから明るい性格。そう思っていた。
話に聞く華やかな学生生活とは反対に、おかんの家庭環境もまた、実はかなり複雑なものだった。
(私が本当のおじいちゃんにあまり会えなかった理由はこれ)
離婚後おかんは育児放棄され、じいちゃんばあちゃんに育てられる。(おかんのおかんのおかん。私のひいじいちゃんとひいばあちゃんにあたる)
ひいじいちゃん達が生きてる間はひいじいちゃんちも時々行ってたけど、すっごい狭くてすっごいぼろい。
部屋なんか二部屋しかなくて、どっちも4帖くらいしかない。電気も暗くて、豆電球しかなかった。
未だにぼっとん便所で、多分昭和初期とか下手したら大正とかに建てられたような家だった。
そんな時代にとり残された家に、おかんはひいじいちゃんたちと3人、高校生までずっと暮らしてた。
今これを書いててもう何年も行ってないひいじいちゃんちを思い出して切なくなった。
細い路地裏と商店街に囲まれた、風情のあるボロ家だったなあ。
おかんは離婚後大きくなるまでそのほとんどをひいじいちゃんたちと暮らしてたわけだが、
一度だけ母が迎えにきたことがあるらしい。
おかんの母(私のおかん側のばあちゃん)というのもまた美人で、年の割に若い人だった。
再婚した家におかんを引き取りにきたのだが、それはもう既におかんの異父兄弟(再婚相手との子)
が3人産まれたあとだったそうだ。
何年もひいじいちゃんちに放置されて、数年越しに迎えにきたと思ったらもうおかんの居ないところで
おかん以外の「家族」ができあがっていたらしい。
本当の母とくらせるとは言え、疎外感ははんぱなかったらしい。
それに加えて、おかんの母の再婚相手はDV酒乱男だった。いつも酒に酔っては家族に暴力をふるっていた。
これは本当に最近になって知った話だが、おかんはそのDV男に首を締められたことがあったらしい。
殺されると思ったらしい。
そんなこともあり、結局おかんは新しい母の家になじめず、またひいじいちゃんの家で暮らす事になった。
当時はたんたんと聞いていたが、おかんの孤独や親に捨てられる悲しみはどんなものだったんだろう。
計り知れない。
昔私はおとんとおかんのなれそめをよく聞きたがっていたんだけど、いつもはぐらかされて教えてくれなかった。
数年後私が大人になってから全てを知る事になるんだけどwwwww
こんなに重い過去を背負っていながら、おかんは明るかった。その後ろにある闇なんて全然見えなかった。
ちなみに簡単にキャラ付けをすると、おかんの育ての親ひいじいちゃんひいばあちゃんはかなりの人格者。
穏やかで、おかんを愛情いっぱい育ててくれた人たち。おかんもひいじいちゃん達が大好きだった。
んでおかんの母というのが多分股の緩い女でちょっと頭弱い人。だからDV男にひっかかった。
DV男は私からすれば義理のおじいちゃんにあたる人になる。小さい頃会った事があるけど、
私には優しいただおじちゃんに思えた。でもおかんの母含む家族みんなに嫌われてたから、酒飲んだら
本当に人格が変わるんだろうね。
おかんとはあまり関係ないから簡単に書くけど、私が小学生のときに結局おかんの母家族はDV男から
夜逃げし、DV男は薬のんで自殺した。
そういえば小さいときから色々あったなあと今になって思う。
ただ私以上にひどい家庭環境で育ったおかんは、強い人に思えてた。おかんも自分自身を強いと言っていた。
でも、自分の事を強いって言う人って何かの拍子でくずれると本当は凄く脆いんだよね。
おかんは紙一重でメンヘラになりうる素質を持っている人だったんだ。
今じゃ軽々しくメンヘラって言葉は使われてるけど、おかんには幼少期から蓄積された本人も気づかないような深い深い心の闇があった。
弟1が荒れ始め、おかんは妹と二人暮らしになった。
弟1はB系→お兄系→カジュアル系へと進化していった。
ひどいときはホストみたいな変な前髪があった。きもかった。
弟2は相変わらず弟1が反面教師になり、目立たないながらもまじめで優しい人間に育った。
DQNになった弟1はだんだん学校に行かなくなり、警察沙汰を起こすようになった。
詳しい事は聞いてないが、万引き窃盗喧嘩、色々やったみたい。
おとんはその度に仕事中なのに警察に呼ばれた。
学校だって、朝おとんが仕事に行くときに一緒に学校に行くふりをする→おとんが行ったのを見計らって
学校に行かず家に帰って学校をさぼる を繰り返していたらしい。学校からこのままでは進学が危ういと
連絡がきた。
おとんは弟1の非行に疲れきっていた。
しかもおとんも弟1も感情を出すのが不器用で、家に居るときはいつも私がお互いをフォローする役目だった。
私は一緒に暮らす中で唯一の女というのもあり家族の潤滑剤的な立場だったんだけど、私が家を出てから
弟達とおとんとの間には深い溝ができつつあった。
いくら言っても学校に行かず問題ばかりを起こす弟1に、ある日おとんがついにキレた。
弟1をぶん殴り、弟1は鼻血を出した。
今までおとんに本気で殴られたことのなかった弟1はそれに対して逆切れし、溝は一層深まってしまった。
ほんと男って不器用だなーと思うwwww
おとんも小さい頃あまり接してなかった分、どうやって心を開けばいいのかわからなかったみたいだ。
私からしてみればおとんは仕事しながら家事もこなし、充分私たち兄弟の為に頑張ってくれてたと思う
のだが、弟達はまだそのへんがきんちょで、仕事しながら3人の子供を育てるってことの大変さがわかってなかった。
おとんもついに呆れてしまって、勘当まではいかないけど弟達を育てる自信をなくしてしまったらしい。
おかんに「自分の子供だけどあいつらのことがわからない」と漏らした。
だからおとんがおかんに話した内容、悩み、近況は全てオートで私のもとに届いていたwwwwww
子育てに関してだけど、おとんが常識や勉強、社会の厳しさについて担当
おかんが倫理、思いやり、考え方について担当 っぽく自然となっていた。
おとんは言ってる事は正しいけど言い方がぶっきらぼうだったり、たまに計らずとも人を傷つけたりする。
おかんは部屋の掃除ができなかったり、ぶっとんだことをたまに言うが誰よりも人の気持ちを考え、
そういう心の発達の面では一番伝えるのがうまかった。
おとんよりもおかんに懐いていた弟達は、離婚後5年目くらいにおとんとこれ以上暮らせなくなり、
おかんが弟達を引き取ることになった。
ワイン工場いいなぁ
子育てってマジ大変だよな、弟1、2は今いくつなんだろ?
2012年現在弟1は20歳、弟2は18歳だよー!
おとんとの折り合いが悪くなり、おかんの元で暮らし始めた弟達。
これでおかん側にはおかん、弟1、弟2、妹の四人、団地の方の実家にはおとん一人(+犬猫)が暮らすことになった。
このへんは全部メールで聞いていたことで、十数年間住み慣れた家から弟達がいなくなるって大変だった
んだろうけど、私はあまり実感のないまま事態は動いて行った。
話を聞いたとき、おとん寂しくないかなって心配になった。
この頃から私は仕事の忙しさや家族間のわずらわしさがめんどくさくて実家にあまり帰らなくなる。
おとんは割と元気だった。空元気にも見えたけど。
おとんとおかんが別れた理由は大雑把に言ってしまえば性格の不一致とおとんの浮気。
片付けができなかったりルーズだったりするおかんにおとんはよく怒っていた。
離婚してからも、時々「お母さんのルーズなとこはまねをするな」と言われていた。
だからおとんはおかんを見下しているというか、そんな印象を受けていた。
でも、実はおとんはおかんの育児の部分については尊敬していたらしい。このとき初めておかんをほめる言葉を聞いた。
「お前のお母さんは、精神的に不安定なとこがあったり家事はできないけど、誰よりも人の心を動かす言葉を話す。
一番お母さんの言葉が必要だった時期に弟達とお母さんを離れさせてしまった。
お父さんはそういうの苦手だから、お母さんのそういうあったかい部分は本当に凄いと思ってる。
だからお父さんには無理だった弟達の心を開く事も、お母さんならやってくれるだろう」って。
弟達とどう接したらいいかわからなくて、つい手が出ちゃったんだろうなって。
おとんだって不器用ながら、私たち兄弟のことを愛してくれていた事は分かっている。
離婚した直後、1枚だけおとんのメモ?みたいなのを見つけたことがある。
よく手紙や日記を書いていたおかんと違って、おとんが何か心情を紙に残すなんて初めて見たから、
相当胸に来たんだろう。
紙には「○○(おかんの名前)が今日、家を出て行った。後ろ姿を見て涙が止まらなかった」
とだけ書いてあった。
最後の方は完全に男女の愛情は冷めていたんだろうけど、おとんにもそういう人間らしい感情はあるんだろうなと思った。
私達子供の前では絶対見せないけど、おとんはおとんなりのやり方で私たちを育ててくれていた。
でも、収入のないおかん一人と子供3人の生活はかなり苦しいものがあった。
車がない、お金がない、それに加えて弟1が学校に行かない。妹はどんどん成長していく。
おかんのストレスは凄まじいものだったと思う。
それでもおかんは「一番大事な時期にいられなかった分、愛情で埋めるから」と言って頑張っていた。
荒れてひねくれた弟1にも前みたいに明るく接していた。おかんは「学校行かないとままがチューするぞーっ!」
とかって、冗談まじりに弟1にいつも声をかけた。弟1も「やめろババア」とか言いながらも笑ってて、
本当に少しずつだけど学校に行くようになった。
おとんも金銭面で少し支えたり、車を貸したり、色々とおかんに協力してくれてたみたいだった。
昔みたいな素直な弟1には戻らなかった。
おかんはせめて高校卒業はきちんとさせてあげたいと毎日頑張っていたが、時々しんどかったんだろうね。
時々私に愚痴というか、落ち込んだような内容のメールが届く事があった。
最初は私もそれにちゃんと返信し、時々連絡したりしておかんを励ましていた。
でもそんな暗い内容のメールが少しずつ増えてきて、私はだんだんとメールを返信することがめんどくさくなっていった。
今更なんで私が家族の事で悩んだりしなくちゃいけないの?って思ってた。
遠くに居るからっておかんがしんどそうなことや、弟1の問題がかなり深刻なことを見て見ぬふりしてた。
もう充分傷ついたんだから、これ以上関わって欲しくなかった。
んであまりメール返さなくなってたんだけど、少しずつ少しずつおかんのストレスはたまっていって、
だんだん体の方にも異常が出始めた。
最初のうちは過呼吸とかヒステリックとか、そんな感じ。
これは一緒に暮らしてたときも少しあったものだった。昔は明るいおかんのときがほとんどだったから、
ヒステリックとかたまに起こるくらいだったんだけどね。
おかんのほうの新しい家は、次に私が里帰りするときにはぐちゃぐちゃになっていた。
色んな問題を抱えながらも、それでもおかんは頑張り続けた。
いよいよこれ以上休むと卒業がやばいってなった弟1を、おとんの車を借りて毎朝高校まで送り届けていた。
補修も必死に説得してなんとか全部行かせた。
一回でも欠席や遅刻をするとアウトだったから、相当頑張ったと思う。
おかんのおかげで、弟1はぎりぎり高校を卒業することができた。
さらにばあちゃんとかにも会おうと思ったら日数が足りなくなる。
初めて団地のほうに帰ったときは辛かった。住み慣れた家に人の気配がないんだもん。
おとんは毎日仕事に疲れて帰ってきて、こんな静かな家で一人(犬はいるけど)で住んでるのかと思うと
切なくなった。どうしようもないけど。
んでそのときも、一日目はおとんの方に泊まって、二日目はおかんのほうに泊まる予定だったんだ。
このときはヒステリックもときどきあるけどまだそこまで酷くなくて、帰ったら「久しぶり!なんかあか抜けたなあ!」
とかって笑って出迎えてくれた。
私ももうこのときは成人もしてたし、弟1の話たまに聞いたり、だいぶ考え方が大人になってきてたから
(まだまだ子供だけど)おかんと対等に話すようになってた。
兄弟の中でも一番まともに進学して就職してたし、おかんも私の事を信用してくれていた。
そんで見た目はおかんも若いもんだから、本当に友達親子みたいになってた。
「1の服かわいー!ままもそういうの欲しいなー」とか、帰省したときは一緒にカフェとか雑貨屋巡ったりもした。
おかんの中で私は、いつの間にか娘を超えて相談相手になっていた。
その日もお昼のうちは雑貨巡りして、ドライブして家に帰った。
愚痴のメールの返事はめんどくさいと思っていたが、会ってみればやっぱり明るいおかんで安心していた。
久しぶりにおかんの手料理を食べて、弟1は途中で夜遊びに行っちゃったけどまあ私に対しては普通で、
思ってたほど問題ないじゃんって思った。
お風呂入って、3人並んで(弟1は夜遊び、弟2は別の部屋)布団引いて寝ようとしたときだった。
おかんが話しかけてきた。
「1、まだ起きてる?」
電気を消して布団に入ったまま、おかんは少しずつ話しだした。
昼間のドライブのときは妹もいたし私とふたりで話せる機会を待っていたらしい。
弟1の問題、凄く大変でしんどかったこと、お金がなくて大変なのに妹の父である男も、おとんもあまり
助けてくれない事、体がしんどいこと、喘息や過呼吸が最近多くなってきたこと…
話は全部おかんが普段吐き出せないことばかりだった。
話の中にはショックなものもあった。おかんは今でもおとんのことを憎んでいるということ。
おとんのことをあいつって言う。悲しかった。
「ままは体もしんどくて、それでも弟1を卒業させたいから頑張ってるのにあいつは…」って。
私はおとん本人からも話聞いてて、おとんも協力してるけど不器用なだけっていうのが分かってたから、
それがおかんには伝わってないのか…って思うと悲しくなった。おとんはおかんのことほめてたのに。
【異常行動】ニートの友達が毎週6時間かけて徒歩で会いに来るんだが・・・
「前の家で過呼吸が出て体が動かなかったときはしんどかったなあ。
あいつ動けなくて助け呼んでるままのこと蹴ったんだよ?あの顔一生忘れんわ。」
「1が産まれてすぐのときだって、あいつはゴルフばっかり…。
ままはお義母さん達に嫌味ばっかり言われて毎日泣いてた。(私が産まれてすぐはおとんの実家で暮らしてた)
義母さんにもあいつにも会いたくなくて、よく1連れて車で遠いとこまで行って泣く場所探してた。
過呼吸も見られたくなかったから発作がでそうになったら一人で車の中で治まるまで待ってた。」
おとんやばあちゃんの愚痴が出て来る出て来る。
おかんに大人と認められた私は、普通子供が知らなくていいような部分の話まで全部聞かされた。
聞いてるうちに涙が出てきた。
おかんの闇の部分をちゃんと聞いたのはこれが初めてで、心が痛くて聞いてられなくて、
寝たふりをした。相づちがなくなったのに気づいておかんが「1寝ちゃった…?」って聞いてきたけど
無視をした。
おかんは諦めたみたいで「寝ちゃったか…おやすみ」って言ってきて、その日は終わった。
私はこの日知りたくなかったことをたくさん知った。
おとんの嫌な部分、ばあちゃんの意地悪な部分、そしておかんが持っていた闇の部分。
いつも明るくておちゃらけてたおかんからは想像できないような暗い話だった。
親は親であってほしかった。いくら大人になったからと言っても、私は子供だった。
親の汚いところを受け止めるほど心が成長してなかった。
次の日おかんは何事もなかったかのように普通に接してきたけど、私はおかんとふたりきりになるのが怖くなった。
また知りたくないことまで聞かされるのか、またおとんの悪口を私に言うのかって、おかんを少しずつ避けるようになって行く。
おれは母ちゃん好きだから辛過ぎる
頼むから幸せになってくれよ
私はもう就職をしていて、給料は安いながらも職場に恵まれ、休みの日は友達と遊んだりして日々を過ごしていた。
ちょうどこの頃、私は大失恋をしたばかりだった。
2年近くの恋愛が終わり、私がかなりひきずったせいで相手の彼とは少し気まずくなっていた。
共通の友達も居た為、その後の彼の話は私に筒抜けで、私はかなり情緒不安定だった。
家庭のいざこざには慣れていても、恋愛のいざこざには全然慣れてなかったんだよね。
打たれ弱くて、彼のその後を聞く度傷ついていた。
そんで、そんなときにまたおかんからメールが来るようになった。
すんごい長文。見た瞬間に滅入るような。
「今日も体調悪かったのに弟1はたくさん友達を連れてきてうるさい。
夜中になっても騒いでて帰ってくれない。
車がなくて買い物にもいけない。あいつはままが困ってるのを知ってて車で自分の実家に帰ってる。
誰も助けてくれない。咳がひどい。だるくて今日は何回も朝から吐いた。
でも妹を保育所につれていかなきゃいけないから頑張った。
なのにあいつは…」
みたいな。普段デコメ満載のメールなのに、一つも絵文字が入ってなくてこわかった。
文字制限いっぱいまで恨みつらみや文句が書いてあって、途中でまた涙が出てきて読めなくなってメールを消した。
そしたら次の日くらいにまたおかんからメールが入ってて、
「昨日は変なメールおくってごめんね。最近眠れなくて色々薬飲んでるんだけど、時々わけわからなくなるんだー。
風邪ひかないようにね!」
ってデコメ入りで書いてあった。昨日のメールとは別人みたいでなんだか怖かった。
これが始まりで、だんだんとこういうことが月に何回か起こるようになって行く。
私はおかんのメールに付き合うのがしんどくなって、愚痴のときのメールは開きたくもなくて、
届いたメールが変に長文だと読まずに削除を繰り返すようになっていった。
頑張っていた糸が切れたのもあるし、弟1が寄生ニートになったからってのもあると思う。
弟1はたまに知り合いつながりで短期のバイトをしては無職になり、またたまに短期でバイトをする…
みたいなカスな生活を送っていた。
一度きちんとしたバイトも受かったんだけど、上司ともめてクビになった。
進学もしない、働かない、家にDQN仲間を呼ぶ、車は勝手に使う。
弟1は高校を辞めてから更に人生の生きる意味を失い、どんどんクズになっていった。
働かないもんだから金がない。おかんの財布から勝手に金を抜く。
おかんが車必要なときに勝手に乗ってどこかにいってしまう。
元々持っていた闇の部分に弟1の行動もあって、おかんのストレスは限界だった。
それは全部私のもとに来ていた。私はもうメールが来ても無視をしていたし、自分から電話することもなかった。
私自身が失恋でいっぱいいっぱいで、おかんを構う余裕なんてなかった。
んでずっと無視をし続けていたら、おかんのメールの内容が少しずつ変わってきた。
長文の愚痴は今までと同じ感じなんだけど、その後に来るメールが、
「どうせ誰もままの話なんか聞いてくれない。
昔からずっと孤独だった。ずっと一人だった。
それでもままは1達が産まれてくれて嬉しかった。
1達はままの宝物。
薬のんだ ねむい 起きてられない」
みたいな支離滅裂な文章になってきたんだ。なんかやばいって思った。
それで焦って「最近仕事が忙しくてなかなか返事できんかった!ごめんね!大丈夫?」みたいなメールを返した。
みたいなのんきな内容でほっとした。
でもなんかおかしかった。おかんのメールはいつの間にかひらがなだらけになっていた。
怖かった。
変だなって思いながらもそれからまたしばらく安定してたんだけど、ある日今までで一番衝撃的な内容のメールが送られてきた。
その日私は職場の飲み会帰りで、割と気分よく帰ってたんだけど、おかんから受信されたメールを見て一気に酔いが醒めた。
内容はこうだった。
「あいつはずっと不倫してた 土日家にいなかったのは女のところに行っていたから
平日はこっちで土日は不倫相手の家にいっていた
過呼吸が出たとき何度もままはあいつに助けをもとめたけどけられた
一回も心配してくれなかった
あいつは最初ままの当時付き合ってた人の知り合いだった
彼氏の相談をするうちにいつのまにか付き合っていた
結婚するつもりなんてなかった 元々彼氏がいたままに手をだしてきた男だ
つきあってるときから浮気は何度もされた
同棲してるときからこの人と結婚は無理だとおもっていた
別れようとおもっているところに1を妊娠していることがわかった」
あいつは結婚を嫌がった でもあいつの母が孫をほしがっていたし
体裁的にも結婚しろというので しぶしぶあいつは結婚した
1ができてもあいつは結婚する気なんてなかった
結婚してから弟達ができた
弟2ができたとわかったとき あいつは降ろせといった
許せない
ままは1達が宝物だからそんなことは絶対にしたくなかった
あいつは反対してたけどままは無理いって弟2を産んだ」
私は小さいときからうちの家族が仲良くないかもしれないことに気づいていた。
でもまさか最初から愛し合ってすらなかったなんて知らなかった。
おとんとおかんは好き同士で結婚して、私が産まれて弟が産まれて、
年月を重ねて少しずつ男女の愛情が冷めてしまったんだなと思っていた。
あのおとんが私が産まれる事を祝福してなかったなんて
弟2を降ろそうとしていたなんて
そんなことたとえ本当でも聞きたくなかった。
私はこの日初めて、自分が望まれてできた子ではないと知った。
私はまず両親がデキ婚なことすら知らなかった。
おかんは私を泣かそうとこのメールを送ってきたのではないんだろう。
ただ発作的に今まで辛かった事がメールに爆発しちゃったんだろう。
きっと私がこの事実さえも受け止めれるくらい、大人になったと思っちゃったんだろう。
でも残念ながら、私は本当はまだまだおかんに甘えたいくらいのただのガキだった。
自分の出生の真実を受け止めるには心が成長してなかった。
私はここから一切おかんにメールを返せなくなった。
それもあるし、自律神経もおかしい。躁鬱なんかもしれない。
人が多いとこには行けなかったりする。私もあまり知識がないから違いはよくわかんないけど。
地元に帰る事はあっても家族には会わないかんじ。友達の家に泊まって、帰ってたことすら報告しないようになった。
表面上のメールはしてたけど。
私は今まで辛いことがあってもなんとか自分で乗り越えてきたつもりだった。
でもこのときだけは本気で気分を沈まなくする薬が欲しくて、心療内科とかいこうかと思った。
結局いいとこ知らなくて行かなかったけど。
おかんはその後も今までどおり私にメールを送ってきた。
私が無視をする度、ひらがなまじりになったり変な行間のあるメールになった。
精神に異常がある人の文章って変なとこで空白あるって有名じゃん?
あんなやつ。
だいぶ進んだからもうちょいだと思う!
見てくれてた人ありがとう。
なんか質問あったら答えますー
最近、心と体が健康であるって事がどんなにすばらしい事かってつくづく思うな
言葉が見つからん。マジで1に何て声かけてやればいいのかわからねぇ
私も親の嫁姑問題で、父方の祖母が苦手通り越して唯一キライだし、それを愚痴る母親に対してどう接していいのか分からん。
家族の愚痴や悪口は些細なモノでも記憶に残るよね。
父方母方にとっては双方他人かもしれないけど、子供にとっちゃ両方血の繋がった家族だってのに。
おかんから衝撃のメールを受け取ってから私は、かなり精神不安定になった。
誰にも言えなくて、でも聞いて欲しくて、意味深な病んだつぶやきとかしてSNSで若干かまってちゃんになってしまった。
今思うと恥ずかしいwwww
気持ちの浮き沈みが激しくて、落ちてるときは何時間も何もせずにぼーっとしてしまってて気づくと朝になってたり、
誰かに全部受け止めて欲しくて前好きだった人に連絡してしまったり、
マインスイーパーを4時間くらいぶっ通しでやってしまったり、かなり痛々しい行動をたくさんした。
かと思うといきなり元気になって友達に会いまくったり、超ポジティブ思考になったり、
そんな感情の波がしばらく続いた。
俺もまいんスイーパーやりまくるw
おかげで旗をたてずにクリアーできるようになったよwwww
最初はただただ悲しかった。おとんにも愛されてなかったように錯覚した。
でも、産まれてから20数年を思い返すと愛されてないなんて事は絶対なかった。
だっておとんは毎日弁当つくってくれたよ。
高校の大会見に来てくれたよ。ビデオまでとってくれて、家で何回も見てくれてた事知ってるよ。
部活応援してくれたし、喧嘩したけど専門にも行かせてくれた。
一人暮らしの家だって一緒に見に行って、私がどうしてもベッドは白がいいとか言ったら、
家にあった黒のベッドペンキで白く塗ってくれた。
弟達の事心配してたのだって分かってる。
私ができたとき、確かに子供なんてほしくないって思ってしまったかもしれない。
それでも産まれてからずっとおとんからの愛情は感じていたから、そんな大昔の感情なんてどうでもいいや。
何日も何日もぐるぐる考えた結果、きっかけはどうだったにしても、
今愛してくれてるのは間違いないからあまり気にしないでおこう!という結論に至った。
いつの間にか私はおとん達が結婚した年とそう変わらなくなっていて、
おとん達の気持ちもなんだか分かるようになっていたんだ。
20代になればデキ婚する子も、不倫を経験した子も周りにいた。そういう話を聞いていると、
ああ人の親も親である前に男女なんだなあと理解できるようになった。
男友達の中には彼女に子供ができて「ああーやっちゃったー」なんて言ってるような奴もいたし、
おとんもきっとこんな感じだったんだろうと思った。
そしたらなんだか許せた。そしたら、今度はだんだんおかんに対してむかついてきた。
何故そんなに父が庇われる存在で、母に対してはスレタイなの?
おかんがかわいそうだとはもちろん思ってる。でも、これから書くようにおかんは壊れたんだよ。
この頃もだいぶ言動や行動がめちゃくちゃだった。
情緒不安定でおかんに振り回されることもたくさんあった。
それでだんだん、不倫をしたとはいえ行動や思考は至って常識的なおとんを「親らしい」と思うようになった。
重い相談されてばっかりで、進学のことやお金のことは全然助けてくれないおかんは、
頼れる親ではなくなってしまった。
まあ私の感情についても波はあって、当時の気持ちで書いてるから感情的っぽくなってるけど、
今現在のおかんに対する気持ちはこの頃とは全然違うよ。
でもおかんはそれと同じように、わたしに苦しい思いばっかりさせてるじゃないか!
なんで普通知らなくていいことまで私だけ知らされなきゃいけないんだ!
もうほっといてくれーー!
みたいな気持ちになって、おかんのメールを全部無視した。
おかんはこないだのメールで私がこんなにショックを受けたことを知らないから、
今までどおりどんどん愚痴のメールを送ってきた。
んで前に少し書いたみたいに、だんだんとメールの文体がおかしくなってることに気づいた。
無視をし続けていると、前みたいに長文が送られて来ることはなくなった。
ちょっとかわいそうかな?って心配になった。何度か返事をしようとは思ったけど、
やっぱりなんて返事したらいいかわからなくて結果無視し続ける形になってしまった。
多分おかんは私がおかんのメールを嫌がってると思ったんだろうね。
時々「げんき?ままは体調がわるくてずっとねています 風邪ひかないようにね」
とかかまってほしいような、でも返事を強制しないような、そんなメールが届いた。
そしてたまに発作みたいな
「くるしい だれもたすけてくれない しにたいけど1達がいるからぜったいがんばる」
みたいな、メンヘラチックなメールも届いた。
しにたいってメールが来ても、「またか」って思うようになっていた。
遅い反抗期というか、なんかこのときは意地でもメール返しやるもんかって思ってた。
毎日毎日暗いメールが来るもんだから私まで疲れていて、もういい加減にしてよとさえ思っていた。
友達にも何かあるとすぐに「消えちゃいたい」とか言う子がいるけど、
そういうのって最初は心配しても何回かやられると「ああまたやってるわ。そのうち治るでしょ」
みたいになっちゃうじゃん?
私の中でおかんは、イソップ物語の主人公みたいになってしまっていた。
しにたいしにたい言うだけで、どうせ死なないんでしょみたいな。
この頃の事を思い出すと胸が苦しい。多分私も感情が麻痺してた。
それくらい私もおかんの負のメールには参っていて、いくら楽しい日を過ごしても、
帰って見るおかんのメールで全て台無しにされる気がした。
「くすりのむと ふく さようがすごい 眠くなる 仕事がんばてね おやすみ」
「妹が 1おねえちゃんにあいたいって ずっといってるよ」
「まま旅行がしたいなあ がいこく行きたい それでみんなが大人になったら
山かって 捨てられたどうぶつがみんな暮らせるようなあったかい場所つくりたいなあ」
「きのうから発作がでてねこんでる うごけなくてたおれてしまう でも誰もたすけてくれない」
「ままがしんでも1達兄弟はずっとなかよしでいてね それがままの願い
そこに妹もいれてあげてほしいなあ」
こんな内容のメールが毎日毎日何通も届いた。内容も穏やかだったりヒステリックになってたり色々。
んである日メールが来ない日があった。
代わりにおとんからメールが届いた。
っていう内容だった。
安定剤を大量にのんで意識朦朧としてる中で妹の幼稚園のお迎えの為にむりやり車に乗ったらしい。
人身事故ではなかったのが幸い。おかんの運転する車がガードレールにぶつかった。
おかんはケガをしてて、警察や救急車がきたときも意識がはっきりしてなかったらしい。
警察がおかんに声をかけても、おかんはろれつが回っていなかった。
それでおとんが会社から呼ばれて、事故をおこしたおかんの元へかけつけた。
おとんに電話で聞いた話だったが、おとんは言いにくそうに話した。
「お母さんにもあとで電話してあげてな。ちょっとろれつ回ってなくて何言ってるかわからんと思うけど…」
さすがに心配になっておかんに電話した。
「大丈夫なん!?」って聞いたら、おかんは
「うん らいようぶ〜」
って、本当にろれつが回ってない声で答えた。
聞きたいことは色々あったが、正直本当になにを言ってるか聞き取れないほどおかんはおかしかった。
廃人っていう言葉が頭に浮かんだ。その声が結構ショックで、泣けてきた。
おかんはおかしくなってしまった、もう前のおかんじゃなくなってしまった。そう思った。
おとんの話では警察も話が聞けなくて困っていたらしい。
とりあえずおかんが入院している間の子供達の面倒はおとんが見る事になって、
おかんには車に乗らせないようにしようという話になった。
けが自体はそんなにひどくなく、跡も残らなかった。
ろれつが回っていなかったのもそのときだけで、数日後に電話したときには普通に話せるようになっていた。
でも今回の事故で、おかんが薬を飲んだ状態で車に乗る危険性というのが分かった。
おとんはおかんに車を与えないようにした。でもおかんには車が必要だった。
送り迎えや買い物、確かに田舎で車がないのは致命的だから。
私は事故以来、おとんともおかんとも連絡を取り続けていた。このままではいけないって思った。
おかんが本当に死んじゃうって思った。
ただ、おとんに車をとりあげられたおかんは更におとんのことを批難するようになった。
「車がないと生活ができないのに、頼んでも車を貸してくれない」
「1からお父さんにお願いしてくれんかなあ?」
って、また私を頼るようになった。
私もおかんの生活が大変なのは充分分かってたし、危ないとは思うけど車がなかったら次何をするかわからないし、
一応おとんに相談してみることにした。
「今回は単身の事故ですんでよかったけど、もしもこれで誰かを轢いていたらシャレにならない。
1には言ってなかったけど、今までも何度か事故りかけてる。
買い物とかはお父さんも協力するようにするけど、お母さんの言ってることは聞き流しといて」
おとんの言い分は社会的に正しくて、確かにこれでもし誰かを巻き込んだりしたらと考えると恐ろしかった。
そんでおかんには申し訳ないけど、事故を防ぐ事の方が大事だと思いおとんの言う通りにしようと思った。
前と違い返事はするようにしていたが、やぱりしんどかった。
「お父さんは手伝うとか言いながら、必要なときにきてくれない!
車がなくてどうやって生活しろっていうの…」
おかんが困ってるのは凄く分かった。でも、おとんの言う事もその通りだった。
おとんも心配してるのに、おかんはおとんのことを悪くしか言わなくて、更に私はしんどくなった。
おとんにもおかんの話は聞かなくていいよといわれ、完全に板挟み状態だった。
一気にたくさん書きたいんだけど、明日朝からボードなんだ…
来れたらボードから帰ってきて続き書きたいと思うんだけど、来れなかったらごめん!
もうだいぶ最近の話まで近づいてきてるのであとちょっとで終わると思う。
ただ膨大な記憶を文章にまとめるって難しくて、書くのに時間かかっちゃう。
最近の事になると感情論とかも多く入って来るからちょっと読みづらいかもしれないけどごめんねー
今日も読んでくれてありがとう!
母親からすれば、もはや嫌いな他人なのかもしれないけど、私にとってはたった1人の父親なので、悪口なんて聞きたくない・・・
うちも同じですよ。しかも私も望まれて産まれた子ではないんです。いくつになっても子なので親の悪いところは見たり聞いたりしたくないですね。
乳児がいる親なんだけど、昨日親から「育て方気をつけろよ。俺は育て方間違えたことを後悔してる」
とサラリと言われたよ。深読みしすぎなのかもしれないけど、自分自身で驚くくらい傷ついてるよ。
学生の頃も言われたけど「後悔してるなら自業自得だろ」と笑い飛ばしたけど
その時から10年近くたって親になった今いわれるとキツイわ
多分嫌われてるんだろうな。今日一日自分の過去振り返ってたけど、楽しい思い出なんてなかった。
いろいろ感謝してきたんだけど、思い起こせば自分に言い聞かせてたんだなぁと余計悲しくなった。
さて子供の寝顔見てくるよ。おやすみ
>「育て方気をつけろよ。俺は育て方間違えたことを後悔してる」
おれはこの言葉から2つの意味がとれたな
1,育て方間違えたから自分の子がこんな人間になってしまった。
2,育て方間違えたな…もっと自分の子と遊んだりしてかまってあげればよかった。
後者だといいね!元気出して
自分は育て方を間違えたとは思っていないと言われたけど
子供の頃に産むんじゃなかったってお風呂場でバシャバシャお湯をかけられたり
理不尽なことでひっぱたかれたりしたから
どの口がそう言うのかと、思わずはぁ?と言ったことがあるwww
昨日書こうと思ってたんだけど寝落ちしてしまった
雪ガリガリだったよ…
それにしても荒れてるなー
一応全部レス読んでるけど、みんなそれぞれ大変な事あるね。昔自分が悲劇のヒロインだと思ってたから、
そう思ってた頃の自分が恥ずかしくなるよ。話聞かせてくれた人はありがとう。
まあ私も自分のやってきた事改めて書いてて、やっぱりしんどかったなーって思う事もあれば
このときもっとこうすればよかったなって思うこともある。
今書いてる部分なんか家族に向き合わずに逃げてきた部分の話だから、
見ててイライラしちゃう人がいるのもわかるよ。頑張って向き合ってる人からすれば余計にね。
ただ何人か書いてくれてる人もいるようにこれは昔話であって、今はまたこの頃と違った状態です。
もうちょっとで書き終わると思うのでしばしおつきあいくだされ
離れて生活してて、私にも仕事があって、おかんに頼られてもできることは限られてた。
ややこしいから簡単に書くけど、おかんにどうしてもと言われおとんに内緒で車の保証人になろうとしたこともある。
おとんの意見は正しかったけどおかんがあまりにも大変そうでさ。おとんが車貸してくれないなら車買う!
とか言うもんで車屋さん走り回ったこともあったよ。
でも、当たり前だけど私は保証人になれなかった。というよりは場所が離れてて車買えなかったんだ。
私免許持ってなくて、車のこととか何も知らなくて、無知だったからそれがどういうことなのかもわからなかった。
おかんに買えなかったことを伝えると「えーそうなん?…そっかあ…」ってがっかりしてた。
おかんはなんだか常識のリミッターが外れてたみたいだった。
昔はそんなことなかったんだけど、自分の願ってたことが叶わなかったら無理にでも遂行するというか…
あとでこれも精神的な病気からくる発作的な衝動だということを知ったんだけど、
おかんは自分のやりたいことや欲しいものが我慢できなくなっていた。
全部が全部ってほどでもないんだけど、車にしても無理にでも私に買わせようとした。
おかんの言う通りに動いた私も無知でアホなんだけど、
よくよく考えれば免許も持ってない20そこそこの女が一人で車買うとかできないよね。
他にもお金ないくせに大きな家電を買ってしまったり、生活に余裕ないくせに動物飼ってしまったり、
聞いてる私も「え?」って思う事が多くあって、おとんに少し話を聞いてみた。
事故の前から分かってはいたけど。
もちろん普通のときもあるんだ。普通に話せて、常識的なときもある。
だからこそどこからが変になってるのかわからない。
でもたまにとっぴょうしもないことを言う。現実不可能なことを平気でやろうとしたりする。
私にもよく、「まま今から芸能人なろうと思う!演劇とか昔からやってみたかったんだー」とか、
急すぎる発言をよくしていた。人を癒せる仕事がしたいといってセラピストの資格を取ろうとした事もある。
今普通のアルバイトすら難しい精神状態で、お金もなくて結局そんなことできるわけないんだけど。
弟達の学校関係は全ておとんが手配やらなにやらしてくれていたし、
言ってたとおりおかんが動けないときのご飯や掃除とかもときどきやりに来てくれてたらしい。
でもおかんはおとんの話を全く聞かない。全てを否定する。
おかんはおとんに裏切られたことをずっと忘れられないんだろう。
おとんが話そうとすると発作が出てパニックになるんだとおとんが言ってた。
だから車のことも、冷静に説明しようとしてもおかんが聞いてくれないからほっとくしかないんだと。
常識的でない部分があった。
だから公平に判断しようとするとどうしても常識的なことを言うおとんのほうを信頼してしまっていた。
お金ないと言いながらも欲しい物は買ってしまうおかんに呆れてもいたし、
動物のことだって責任もないのに飼わないでくれと思っていた。
おとんは不倫をしてたとは言え、離婚して自分のことをボロクソにけなす元妻のことを今でも助けてて、
本当に凄いなあと思った。
自分の子じゃない妹のことまで世話をしてて、妹には「おじちゃん」と言われて懐かれていた。
たまに大人しくおとんに助けられてるときもあればおとんのことを批難するときもある。
そのへんは今でもよくわからないんだけど、
十数年子育てを共にしてきた切れない縁のようなもんなんだろうと勝手に解釈している。
この頃私は今までつとめていた会社を辞め、転職することを決める。
高校時代お金がないと言われ進むのを諦めた道だ。
成人し、自分でお金を稼げるようになってもう一度自分の力で目指そうと思った。
それでもう一度学校に行く事になり(もちろん学費は自分で出した)、
夏休みや冬休みなど長期の休みがもらえる環境になった。
これが本当に最近の話。
「はいはい」みたいに子供をあやすような感じで軽く流すようになっていた。
メールはたまに返すけど正直適当だったと思う。
おとんとは、大人になってお金の話(税金とか学費とか)ができるようになったので、
結構便りにしてて、年をとればとるほどそういうことをきっちりしていたおとんを尊敬するようになった。
こうして書いてるとどうしてもおとん側によってるように見えるが、実際あてになるのはおとんだった。
かと言っておかんを見捨ててたワケでは絶対にないし、力になろうとしたことは何度もあった。
弟達に頼むからおかんに協力してあげて、優しくしてあげてと連絡したこともあった。
遠くにいる私じゃなくて、一緒に住んでいる弟達の協力も必要だった。
精神的な病気を煩っているひとと一緒に暮らすのって、想像以上にしんどい。
やる気や気力を全部もってかれる。その事は充分私だって知ってる。
私は一人実家から逃げた身だから、置いてきた弟達に対して罪悪感のようなものも少しあった。
んで、ずっとこのまま家族から逃げてちゃだめだよなあと思ってるところに、
「あと家族と会えるのは何回ですか?」みたいなコピペを読んではっとして、
去年の年末、二年以上ぶりに実家に帰ってみようと思い立った。
まあなかなか帰る機会もないのでそのまま決行することになった。
年末年始の冬休みを使い、せっかくだからばあちゃん、おとん、おかん、弟妹、
家族全員に会おうと思った。
全員住んでる場所が違うので、一日ずつ泊まることにした。
ばあちゃんはおかんを嫌ってるのでおかんに会う事は内緒にした。
おとんに予定を伝え、ばあちゃんちからおかん宅までの送り迎えもやってくれることになった。
おとんに最初に実家に帰ることを伝えたので、それがおとんからおかんの耳に入り
「なんでままには教えてくれない!いつもままだけのけものにされる」
とまたヒステリックなメールが届いてまた気持ちが揺らぎそうになったが、
そこはふんばって会うことを決めた。
「でも今部屋めちゃくちゃ汚いよ。しかもまま凄い太った」
ってメールがきた。
おかんは薬の副作用とかでむくんだり痩せたりを何度も繰り返していたので、
今回もそういうのだろうと思い特に気にしなかった。
でも今回はいつもよりしつこく「本当に太った。」というので「はいはい。そんなん別にええよ」
と返事を返し、そして年末がやってきた。
まず向かうのはばあちゃんち。
ばあちゃんちにおとんも一緒に来ると言うので、ばあちゃんちで二日ほど泊まることにした。
久しぶりに会うばあちゃんは、凄いちっさくなっていた。
「おかえり」っていうばあちゃんを見て、ちょっと泣きそうになった。
もうさすがにおかんの話はしないし、子供のときのまま優しいばあちゃんだった。
耳は遠くなってて腰も弱くなってたけど、元気そうで安心した。
家族と年越しするなんて何年ぶりだろう。
初めてちゃんと紅白歌合戦見て、ゆくとしくるとし見て年が明けた。
おとんとこたつでちょっとだけお酒飲んだりして、少し話しをした。
学校頑張ってるとか、卒業後どういう仕事につくかとかそういう話。
私はこれからの仕事には実はかなり熱意を持っていて、
ずっとやりたかったことだったからちょっと熱く語ってしまった。
ずっと相づちを打ってたおとんが言った一言が結構胸にきた。
言い方は悪いかもしれないけどようやくお父さん肩の荷が降りたような気がするよ。
高校のとき、進みたかった道に進めてあげられなくてずっと胸につっかえていたものがあった。
あのときは大学に行かせてあげられなくてすまんかったな」
初めておとんからあのときの事を謝罪された。
酒も入ってちょっと泣きそうになった。絶対この仕事について頑張ろうって思った。
更に弟2がそろそろ高校卒業が近づいてるんだが、目指している進路が私と似たようなものだそうだ。
おとんはできるだけ行かせてあげたいと言った。お姉ちゃんからも色々教えてやってくれなと。
うまく言えないけど、なんか家族っぽいなあと勝手に一人で感動していた。
昔はもうちょっとワイルドでもてそうだなって感じだったんだけど、
久しぶりに会ってみるとなんだか年をとってくたびれたみたいな顔をしていた。
早く就職して一人前になって、何か親孝行をしてあげたいなあと漠然と思った。
ばあちゃんちにいる間はおとんと話をして、犬の散歩にいって、初詣に行って、
おせちも一緒に作った。
何年もできなかったことをできるだけやったつもり。
久しぶりに家族に触れてゆっくりした。いい正月だったと思う。
んで、ついにおかんの家に行く日がやってきた。
もしまた衝撃の過去暴露されたらどうしよう、そればっかり考えてた。
途中一旦昔住んでた家(今おとんが一人で住んでる家)にいるもの取りに行った。
弟達の勉強机が当時のまんま残っていて、教科書とかまんがもそのまま残されていた。
でももうこの家には弟達はいなくて…って考えるとなんだか切なくなってきたので考えるのを辞めた。
もうあまり行く機会はなくなってしまったけれど、私が産まれてから高校生になるまで暮らした団地。
辛かった時期を過ごした小さな町。
数年ぶりに行ってみるとやっぱり色々変わっていて、私も大人になったなあとしみじみ思った。
自分の母は酒でどんどん壊れていった。
色々が嫌になって家を出て、もう5年になる。
自分の弱さもあり、連絡も絶ってる。
辛くても何だかんだと親を案じて色々してる主さんには頭が下がります。
しんどい状態の時に連絡したり会いに行ったりするのは本当に勇気必要だと思う。
主さんのこれまでを読ませてもらって、自分も久しぶりに連絡をとってみようと思った。ありがとうね。
そして今家族がどんな状況かまだわからいけど、主さんが幸せで平穏な日々を過ごしてる事を祈ってます。
長々と自分語りスマソ。ROMに戻ります。
2年ぶりにおかんに会う。
それはおとんに会うよりもばあちゃんに会うよりも緊張する出来事だった。
数年前まで、色々あったにしても友達親子みたいだったおかん。
でも私が気づかずに精神的に壊れてしまったおかん。
メールを返さなかった頃のことは罪悪感があったし、
ろれつ回ってなかったときのこと思い出すと今どうなってるのか全く予想もつかなかった。
おとんと一緒におかんの部屋の前まで来た。
ピンポン押したら、どたどたどたって走って来る音が聞こえた。
もう心臓がばくばく言ってとびだしそうだった。
ガチャってドアが開いて、そこには妹が立っていた。
「1おねえちゃんおかえりー!!!」
妹は凄く元気な女の子に成長していた。
二年ぶりの再会だった。
ただ、最初一目見ておかんだとわからなかった。
私の記憶のおかんは相川ななせで、きれいで若くて、ファッションも若い子みたいで…
目の前にいるのは、太って肌が荒れてまっかになって、
スウェットみたいなだるだるの服を来た白髪まじりのおばさんだった。
おかんのその姿を見た瞬間口があいた。
脳内のおかんの姿とはかけ離れすぎていた。
面影は全くなく、化粧も全くしてなくて顔は脂でべとべと。
見るに耐えない姿だった。
驚いて止まってしまった私におかんが口を開いた。
「久しぶり。太ったって思ってるやろー」
あまりの衝撃におかんの顔を見続けることができなかった。
身内の姿が全く変わってしまうって、それほどショックな出来事だった。
「ほんまや。どしたん?」それしか言葉が出なかった。
おかんは「みんなままのこと豚や豚やっていじめるんやで〜」って自虐ネタいって笑ってた。
私は動けなくて荷物もったまんまつったってて、おとんが
「んじゃ帰るわ。また年に何回かは帰っておいでよ」って言って帰って行った。
頭の中は想定外の事態にパニックになったが、顔に出したらおかんが傷つくと思い必死に動揺を隠した。
おかんは「まま凄い太ったやろ?だからメールでも言ったのに」って笑う。
恐る恐るおかんを見るとくっきり二重だった目はわからないくらい肉で埋もれて、
顔は吹き出物だらけ、口は荒れてがさがさになっていた。
正直何秒も見れなくてすぐに目をそらした。
「あ〜っ今ブサイクになったって思ったやろ!」
おかんの開き直った空元気が悲しかった。
「最近弟2がこのままじゃ卒業式行かせてくれんって言う〜」おかんはまたふざけて笑った。
もう笑わないでくれ。見ていて辛かった。
「薬の副作用でねー 食べてないのに凄いむくむんや〜」
おかんは元気だった。言葉もはっきりしていたし、ヒステリックでもなかった。
でも、おかんは化け物になってしまった。
きれいだったおかんはもうどこにも居なかった。
心の中でどうしようどうしようってずっと思っていた。
直接一緒に暮らしたことがない妹だったが、私が来るのを凄く楽しみにしてくれていたらしい。
妹はずっと私にべったりだった。
「妹ねえ、1おねえちゃんが来るのずっと待ってた!
1おねえちゃんにぎゅってしてほしかった!」
女児小児愛者が居たら萌え死ぬようなあざとい台詞を言われまくった。
おかんもそれを嬉しそうに見ていて、
「妹がずっと1ねえちゃん1ねえちゃんってうるさかったんよ」って言った。
かわええ。母性本能くすぐられる。
ぎゅってしてほしいのか。かわいいなぁ
それどころか寂しさが原因で衝動的に飼いまくった動物たちがたくさん居て、
においも相当なものだった。
ふとんもひきっぱなし、排水溝はつまりっぱなし、部屋はごみだらけ、洗い物や洗濯物はたまりっぱなし。
普段部屋が汚い私でさえどん引きした。
そんな中で、おかんや弟達、そしてまだ小学生になったばかりの妹は暮らしていた。
なんか本当に非現実的で、うっすらと自分がまだあの団地にいたときのことがフラッシュバックした。
そういえばおかんは片付けとか苦手だったなあって。
動物の毛で喘息がでかけて苦しかったけど、逃げ場所がなかったので我慢。
妹は「1おねえちゃんの横で寝る」といって真横でくっついて寝ていた。
かわいかった。
電気を消したとき、昔ふたりになったとたん愚痴を吐かれまくったトラウマを思い出して怖くなったが、
おかんは体調が悪いのか布団に入るとすぐに寝てしまった。
少しほっとした。
かといってすることもなく、昼頃起きてだらだらと過ごしていた。
妹はずっと私にくっついたままだった。
「1おねえちゃん見て!!この服かわいいやろ!!」
妹のファッションショーが始まった。
妹は小学校低学年にしてかなりませていた。学校でももてるらしい。
「1おねえちゃんだーーーーいすき!!」
こっぱずかしい台詞をぽんぽん吐ける妹を見て、
小さいとき人見知りだった私とは正反対で凄いコミュ力持った大人になりそうだな…って思った。
具合悪いのだったら心配だね
照れ屋で思った事をあまり口にしない弟達とは違って、妹は思った事をすぐ口に出した。
それでおかんに怒られることもあったが、本当に底抜けに明るかった。
もし妹がいなければ家族の雰囲気はもっと暗いものだったろうな、とぼんやり思った。
現にDQN化した弟1でさえ妹とは遊んでいたし、妹も
「弟1おにいちゃんだいすき!」と言っていた。
私がもし、妹を殺したいほど憎んだ時期があったと言えば妹は泣くだろうな。
そういえば、私がおかんと離れた時期と入れ違いに、妹はおかんとずっと一緒にいるんだな…。
妹が見てきたおかんはどんなだったんだろう。
妹と遊びながら、ぼーっと私が連絡をとらなかった間の家族のことを思っていた。
私はおかんに色んな話を聞かされて育った。
それはもうたくさんたくさん話をして過ごしたもんだから、私の考え方はおかんと全く同じだった。
正義感、モラル、思いやり、困った人を助けること。
全部おかんから教わったことだ。
全部そのまま受け継いで私は成長してきた。
そんで、妹もきっとそういう風に育つんだろう。
元気でふざけすぎることはあっても、何か間違いをおかせば素直にごめんなさいと言える子だった。
姉視点の贔屓を抜きにしても、いい子に育ってると確信した。
んで、おかんの子育てはやっぱり凄いなあとも思った。
もし私が今子育てをするとして、こんな素直な子供に育てられるのか?
毎日語りかけて育てたんだろうな。
少しずつ、長年のもやもやが晴れていくのを感じた。
おかんはスウェットのまま出かける準備をした。
前はたくさん服持ってておしゃれだったのにな、と思うと少し寂しかった。
最近はだいぶ精神状態も安定していて、
薬でラリることもなくなっていたのでおかんは少し車に乗れるようになっていた。
おかんが運転する車で、妹と私、おかんの3人で近くのユニクロに出かけた。
小さいころよくおかんと車で色んなとこに出かけたなあ。
ひいじいちゃんちに行くのに2時間くらいかかって、途中でマックに寄るのが凄い楽しみだったなあ。
車のなかで色んな曲かけて、うたいあいっこしてたなあ。
おとんがいない土日は、兄弟3人連れてよく公園つれてってくれたなあ。
しみじみ思い出した。
懐かしかった感情が少しずつ戻ってきていた。
私はただヒートテックが欲しかっただけなんだけど、
おかんも他を見てるみたいなので少しぶらりとしていた。
妹は私にべったりで、「これ1お姉ちゃんに似合うとおもう!!」
とかってここでも元気にはしゃぎまくっていた。
しばらく店内を見て回ってたんだけど、ある事に気がついた。
そう広くない店内なのに、さっきから全くおかんと会わない。
私は目当てのものが見つかったので、妹と一緒におかんを探した。
「お母さんもなんか買う?」って声かけたんだけど、
「わからんー」って言ってまたさっさと私たちから離れて行ってしまった。
私はもう見るものもなかったのでまたおかんを探した。んで今度は正面からばったり出会えたんだけど、
おかんが私の目をみて
「不細工って思ってるやろ…」って今度は笑わずに言った。
涙が出そうになった。
おかんは、私が周りの目を気にすると思ってわざと私に近づかないようにしてたんだ。
こんな姿じゃもし知り合いにあったら親だと思われるの恥ずかしいやろって。
何馬鹿なこといってんだって思った。
確かにおかんの変わってしまった姿を見てショックだったよ。言葉も出なかった。
でも、おかんを恥ずかしいなんて思ってない。
久しぶりに喋って、ドライブして、やっぱりおかんはおかんだって思った。
私は小さい頃からおかんが大好きだった。
おかんにもう一度自信をもちなおしてほしい。助けたい。
二年間私は何をしてたんだろう。
こんなになるまでほっといて、おかんはずっと助けを求めてたじゃないか。
あんなになるほど薬に依存してたんだろう。
持っていた服も似合わなくなって、おしゃれもどんどんしなくなって。
帰り道おかんは、「1はいいなあ。好きな道に進むんやろ?ままも絶対いつか学校行くんやー」って
いつもどおりとっぴょうしもない夢を語っていた。
芸能人になりたい、犬猫を飼える大きな家と庭がほしい、資格をとりたい、学校にいきたい。
いつも夢を語るおかんは、少しでも自分がやりたかったことをやれてるんだろうか。
スポーツが大得意で高校の推薦の話もあったが、ひいじいちゃん達と離れたくなくて断った。
芸能プロダクションのスカウトの話もあったが、同じく断った。
「もしあのとき推薦とかスカウトの話受けてたら、まま有名人だったんかなあ」
と全てを諦めたような目で言うから、
「でももしそうなってたら私たち産まれてないやん」
と返した。
おかんは「そっか…それはやだな…」って小さい声で答えてた。
妹1は「みんなでご飯食べれて妹しあわせ!!ずっと家族ぜんいんでご飯たべたかった!!」
とはしゃいでいた。
そっか、妹もずっとお父さんが欠けた生活をしてたもんな。
今更になって色んなことに気づいた。
二年ぶりに家族に触れて、思っていたよりも居心地が悪いわけではないと思った。
環境は変わってる。私は確実に大人になってる。
前よりもずっと、色んなことを受け止められる。
家族のことが重くて連絡をたっていた数年間、私は何を思っていたっけ?
誰かに受け止めて欲しい、誰かに全部吐き出したい、
辛かったねって言って欲しかったんじゃなかったっけ?
一番欲しかった言葉ってなんだったっけ?
誰でもいいから誰か一人、信用できる頼れる人間が欲しかったんじゃなかったっけ?
私も同じじゃん。ずっとしんどかったこと気づいて欲しかったんだ。
おかんにとって、その相手ってのが私だったんだ。
ただおかんに会い、話し、妹にふれ、おとんの気持ちを知った。
数年前の受け止めきれなかった私より、今の私は心が成長していた。
唐突にすべてを許せた。
私もおかんと同じ。ずっと全部を話しても受け止めてくれる、大事な誰かを探し続けてる。
おかんにとってのその役割が私なら、それは凄く光栄なことじゃんか。
急にそう思えるようになった。
おかんは、私達家族を守るために自分を犠牲にしたんだ。
誰にも言えず溜め込んで、こんな姿になっちゃったんだ。
最後の日の夜は弟2と進路について朝まで語っていた。
「ちなみに俺がお母さんに卒業式くんなって言ったのは、
体の為にもちゃんと痩せてほしいから卒業式までにって目標作ってやっただけやから!」
って、えらいツンデレなことも言っていた。
弟ともこんな話ができるようになったのかとしみじみ思った。
そういえば、弟たちは私が家を出た年齢と変わらなくなってたんだった。
数年間私が色々経験して得たものが沢山あるのと同じで、弟達だってまた成長してる。
妹もきっと。
「1頑張ってね。ままも頑張るよ」
と言うので、「次会うまでに絶対痩せときや〜!」って言っといた。
「絶対また帰るから」と、約束もした。
帰りのバスに乗るのがなんだか凄く寂しかった。
おかんの人生をこのまま終わらせるわけには行かないって胸に決めて、帰りのバスに乗った。
おかんからメールが届いて、
「いろいろありがとう」とだけ書いてあった。
意地をはって家族に会うのを拒否してたんだけど、会ってみればやっぱり家族は家族だった。
私の場合気づくのがすごーーーーく遅くなって本当に情けないんだけど、
おかんの精神状態だけじゃなくて姿まで変わってしまったことで、
やっと意地をはるのを辞めようと思うきっかけになった。
こんだけ長いこと文章書かせてもらってたいしたオチがなくて申し訳ないんだけど、
結局全部私の問題だったんだ。
私が勝手に成長して、勝手におかんを受け止められるようになったの。
おかんはずっとおかんだったんだもん。
最近回りで結婚が多くて、自分ちの親と重ねてみてしまって、
家族のことをよく思い出すようになったのもきっかけのひとつにある。
あれから私は、できるだけ毎日(できないときもあるけど…)おかんにメールを送っている。
おかんからメールがきたら、必ずすぐに返す。
短文でも、つながってる事を知らせたい。そう思って。
それがよかったのかたまたまなのか、おかんの状態はあれ以来いい感じだ。
まだ体はしんどいだろしたまに発作は出る事はあると思うけど、メールはずっと続けてる。
「あれからジムに通いはじめたよ!4キロ痩せたよ!」って書いてあった。
ちゃんと逃げずに話を聞くだけで、ちゃんと相手をするだけでこんなにもおかんは頑張ってくれてる。
他の家庭の親とは全然違うけど、私にとってただ一人のおかん。
これから毎年実家には帰ろうと思ってる。
んでもうすぐ再就職だから、ちゃんとその仕事につけて安定できたら、
何かおとんとおかんに親孝行したいなあって思ってるとこ。
私もまだまだ不安定なとこあって、いつか人の親になるときがきたらおかんみたいに子供を愛したい。
んでおかんに孫見せてあげたいなって最近凄い思う。
結婚願望全くなかったはずなんだけどね。
これから先は親に恩を返して生きて行きたいと心から思う。
もちろんおとんにも。
ただやっぱり離婚は辛かったから、
もし自分が結婚するようなことがあれば絶対に離婚はしないって心に誓ってる。
その前に結婚できるかすら怪しいけどwww
大人になって思ったのは親は親である前に一人の人間だってこと。
親は子供が思ってる以上に色んな事を考えてたくさんのものを背負ってるってこと。
自分だっていつ親側になるかわからない。
子育てに半生を捧げたおかんに、何かプレゼントしたいな。
これから先、もしおかんが悪化しても、もう逃げないでほしい。
精神的な病は揺り戻しが起こりやすいと聞くから
今日の1の気持ち忘れないでください。
こんだけ前置きして結局オチらしいオチもなくてごめんなさい。
ちなみに弟2は自分で学費を稼ぐため1年フリーターを経て来年専門に通う予定。
びっぷら在住ではないけどねらーなので特定されないかちょっと心配wwww
まあだいぶ伏せてるし大丈夫だろうけど。
弟1は妹には優しいもののやっぱりちょっとDQNな感じが強くて、どうにか更正させたいなって思ってる。
一回家を出て社会の厳しさでも分からせたいけど、親元を離れて更に悪事に手を出さないか心配。
弟さえいいって言うなら、一回こっちに上京させて一緒に住んでみるかとも考えてる。
そんで私は現在再就職に向けて就職活動中!
家族に会わない間、実は水商売やってみたりもしたwwww
けどやっぱ家族安心させて、育て方間違ってなかったよって行動で示したいと思う。
彼氏はいないけどいつか結婚して孫は抱かせてあげたいと思ってる!
彼氏はいないけど!
レス読んで、ベタだけども辛い思いをしたのは私だけじゃないと仲間がいるような気持ちになりました。
みんなそれぞれ問題はちがくて、環境も違うけど、負けないでほしい。
私もまだまだ不安定で、アドバイスできるような人間ではないので一緒に頑張りたいと思うよ。
子供の頃どうしようもなかった解決できない問題でも、
日々環境は変わって色んな人に触れ、考え方だってまた少しずつ成長しているはず。
そしたら案外昔乗り越えられなかったことでも、二回目は乗り越えられるようになっているかもしれない。
焦らなくていいから、諦めずに生きて行こうね。
みんなしんどいことあるよね。誰にも言えなかったり、溜め込みすぎてしんどくなったら
2ちゃんでもなんでもいいから吐き出してください。
私はこれからもびっぷらは見続けるだろうし、今度は誰かがたてたスレに応援のレスをするかもしれません。
こうして自分の書いた文章を読んでいると、うわー私鬼やなって思う部分もあるwwww
でも気づけてよかった。これから見失わない。
びっぷらにスレをたてて良かったです。
一週間バイト中もずっとスレが気になっていました。
保守してくれた人、読んでくれた人ありがとう。
ヌクモリティあふれる板でした。
親孝行したいなら、とりあえず部屋を掃除してやれ
それで家庭環境は結構変わる
おつ!!
あと最後の方の1の悟りに感動した
ありがとう
1さん幸せになってください。。
一週間とても楽しかったよ!
就職、決まるといいね。
オカンの家は、掃除してないままなんだろうか。
そこだけか気になった。
今度帰ったら、掃除したらどうかなーなんて。
変なとこ気にしてごめん。
落ち着かないなかで育てざるを得なかった
子供は一人暮らししているんだけどあんまり親と連絡とりたがらないんだよね
それが淋しくもあり、仕方ないと思ってたけど
1の話聞いて「あの子も大変だったんだな」って思うようになった
1が正直なありのままの気持ちを書いてくれてすごく参考になったよ
ありがとう
1さんは幸せになってね
家族みんないい方向へいけるといいね
1乙。
本当に乙。話してくれてありがとう。
1週間楽しかった!
何かプレゼントって言ってたけど、
痩せたら一緒に買い物に行ったらどうかね
1は優しいいい子だと思った
おかんとおとんがいてくれたから今の1がいるわけで
おかんとおとんと1はいい親子だと思う
1と1の家族皆の幸せを心から願ってる
いわゆる「大人」になったんだね
自分でも経験あるから分かるんだ
すーっといろんなことが分かって
すーっといろんなことが許せた
心の底からなんだよ
自分自身もどんどん変わっていくのが分かった
いちちゃんはもう大丈夫
今の家族を大切にね
そして新しい家族が迎えられますように
一度こじれてしまった気持ちから、許したり受け入れたりできるようになるまでは沢山の葛藤があったと思う。抜け出てからは「なーんだ」って程度の事でも、そこに至る葛藤はきっと遠回りでも無駄ではないよ。
幸せを祈ってます。
おかんの精神が本格的に壊れなくて良かった、みんな幸せになって欲しい。
息子1はしっかりしろ!
お父さんもお母さんも素敵な親だね。
皆がそれぞれ辛い事もあり、本当に大変だっただろうけど
その分築かれた家族愛があると思う
支え合って、幸せに暮らしてほしい。
話してくれてありがとう、1お疲れさまでした。
今日一気に読んだよ
いちと同じように、自分も経験したこと全て
人生に必要な事なんだと思ってる
それがどんなに辛い事でもね
現にいちはこんなに素敵なにんげんではないか!
物事は見る角度次第さ
幸せな"これから"を歩んで下さい
自分も負けないよ!
1と家族には心から幸せになってほしいと思う。
また後日談が聞きたい。
ずっと応援してるよー。
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